>>80の続き

日本軍が遅れて南京に到着したとき、そこは支那軍に殺された住民の死体や、無残にも焼け野原になった町の姿であった。
一番乗りで南京に到着した日本軍の部隊は、その悲惨な街の様子を驚愕して日記につけてる。

日本軍の到着に焦った支那軍は、兵士を一列に並べ足を鎖でつないで死守させた。
後ろでは、逃げ出さないように支那の督戦隊が見張った。
日本軍におびえて逃げ出す兵士を督戦隊は後ろから射殺した。

というのも支那兵はそこ辺の馬賊や匪賊、チンピラの寄せ集めで忠誠心が低い。
また北部出身のヘイト南部出身の兵では言葉も通じず、意思疎通もできなかった。
支那軍は統率の無い軍隊なので、兵士を見張る督戦隊が存在した。

そういうことにしたのは、実は支那軍幹部が逃げる時間稼ぎのためであった。
支那軍幹部にとって兵士など使い捨ての駒。
自分たちが更に奥地へ逃げる時間稼ぎに、兵士を鎖で繋いで横に並べて日本軍と戦わせた。