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「ユダヤ製国家日本」
ラビ・マービン・トケーヤー著・加瀬英明訳 徳間書店
第一章 A級戦犯といわれる東條英機はユダヤ人の第一級の恩人である。

昭和13年3月、ソ満国境のオトポール駅に数万人のユダヤ人難民が日本に救いを求めて殺到してきました。
当時、関東軍の傘下にあったハルピンの特務機関長だった樋口季一郎少将と安江大佐は、
関東軍参謀長の東條に許可を貰い、オトポール駅に緊急に救援列車を何本も送って、
彼らを安全圏に逃したのです。
 当時、日本はドイツと防共協定を締結していましたから、当然ドイツから、
また日本の外務省から猛烈な抗議が来たのです。
それに対して東條は「当然なる人道上の配慮によって行われたものである。
日本はドイツの属国ではない!」と一蹴したのです。

それから2年後の1940年7月から9月にかけてリトアニアの駐在領事代理だった杉原千畝さんが
「生命のビザ」を6,000枚発行しています。
 この本の中で、著者は、「東條や、樋口、安江、杉原によって救われて満州国に入国した
ユダヤ難民のうち4608人、が日本に入ってきた。
上陸した港、敦賀の銭湯・朝日屋は無料で彼等を招待して入浴させた。
苦難の旅をしてきたユダヤ難民たちが、
かれらにとって全く異郷の地であった日本の人々の親切心によって、
どれほど慰められたことだったろうか、
このような善意こそ国際瀬が高いというべきだ」
「杉原は日本においても、ユダヤ人を救った人道主義者として賛美されている。
それならば、どうして東條や、樋口や、安江を同じように称えることが出来ないのだろうか?
私は東條や、樋口や、安江も同じように扱われるべきだと思う。」
「もし東條の名がゴールデンブックに刻まれていたら、
国際的イメージが大きく変わっていたに違いない、
そして世界中のユダヤ人から助命嘆願書が、マッカーサー元帥のもとに寄せられたことだろう、。
そして連合国をひどく困惑させたに違いない」と結んでいる。
 
↑あなたとは(ドイツ)、ちがうんです、あなたとは!