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自然信仰(多神教の共通項)の弱さはタブーと言い伝えという悪い教訓しか伝えないことであり、因習を導くこと
タブーや因習は人間の悪さを抑制するが、人間を強くしないので、向上心や自己修養、
恵まれないものを助けることを強制せず、競争や破壊的イノベーションを嫌う文化を作る
(自然信仰はキリスト教の聖霊にも含まれ、有神的進化論やビッグバンも受け入れたキリスト教主流派と比べ教義が劣る)

儒教も一種の自然信仰・先祖霊信仰から生まれたもので、少なくとも宋学以前では、類似する点が多くある

現代人はタブーを祖先の霊や地場霊が原因と説明されても多数が信じず、大衆消費文化の地方習俗として認知されるに留まる

反対に霊能力者や聖人を認定する第三者機関も存在しないため、信心深い人間は詐欺師の草刈り場と化している

ローマの宗教が廃れた理由の1つとして、多神教は信仰対象を統一できず、1つの宗教として
まとまり機能できないことだった。各地域ごとに神や祀る対象が異なるのでは統一ができるわけもない

地域問題は海外からの影響を受けない独自路線である本居宣長の「もののあはれ」が生まれたが、あくまで神話体系に過ぎない
情報を捨てるための整理がなく、膨大な情報を集積するだけであり、無用の長物と化したと見なすものが多くいる
古代日本文化の神話を集積した傑作として認められても、現代社会で省みられる兆しはない

今日の神道の凋落と沈滞を見るに、改革は失敗したと考えるべきで、手遅れと考えていいだろう
神道系の宗教が明治以降つぎつぎに生まれたが、改革に真剣に取り組んだと見られる大本教は政府に弾圧され、今は見る影もなしだ

明治政府は辺境の弱小国である日本が強大なキリスト教国から睨まれることを回避するために、国家神道は宗教に非するものとし
朱子学的な妄想を国家主義に取り入れたが、日本全体が集団ヒステリーを起こす朝鮮化したのは記憶に新しい