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全ての教科書を確かめようがないがベトナムの大量餓死は史実のはずだ

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14118160794

インドネシア
「日本占領時期は、それが短い期間しか続かなかったとは言え、最悪の植民地支配の時代だった。
その時代、天然資源や人的な資源に対して異常な収奪が発生した。しかし、日本の植民地支配は
インドネシア独立へ向けての準備を促進させたという側面もあった。」

フィリピン 高等学校用「フィリピン国の歴史」(一九八一年版)
「日本軍の残酷さ−とくに地方での女性に対する邪悪な扱い−は、多くの市民がゲリラになる要因
の一つであった。ゲリラ活動の広がりを危険視した日本軍は、フィリピン市民に対して残酷さをいっ
そう加えるようになった。多くのフィリピン人は、有罪無罪を問わず捕らえられ、サンディアゴ砦や、
日本軍が接収し刑務所とした他の施設に送られた。家に戻ることができた者にしても、不自由な身体となっていた。」

タイ 中学二年生用 社会科教育読本「歴史学 タイ2」(一九八〇年版)
「タイ人の多くは、日本がタイを占領し、横行することに不満を感じていた。タイ人グループの中に
は、日本と同盟関係を持つという政府の方針に反対するものもあった。これら一般民衆グループには、
連合国から遣わされたリーダーがいたものと思われる。」

ベトナム 十二年生用「歴史 第一巻」(一九八四年版)
「インドシナに足を踏み入れて以来、ファシスト日本のあらゆる経済活動は、直接的にあるいはフランス
を通じて間接的に、略奪戦争を遂行するため、資源や食料をできる限り多く獲得することであった。(後略)
もう一つの非道な政策は、日本への供出用と戦争の備蓄用とのために、食料、とくに米の強制かつ廉価な買い
つけをしたことである。この非道な政策こそ、市場における深刻な食糧不足をもたらし、一九四五年初頭の
数ヶ月の間に、北部で、二〇〇万人以上のわが同胞が餓死した直接の原因となった。」

シンガポール 中学校初級用「現代シンガポール社会経済史」(一九八五年版)
「日本軍が島を占領した三年半の間は、さらに大きな被害と困難な状況が待ち受けていた。この時期は、日本軍占領時代として知られている。
(中略)シンガポールは昭南島(ショウナントウと発音)、あるいはショーナンアイランドと名前を変えさせられた。
”ショーナン”は”南の光”を意味する。しかし、この”光”は明るく輝くことなく、シンガポールの人々は日本の支配下で
彼らの生涯のうち、もっとも暗い日々を過ごした。
日本軍警察であるケンペイタイについては、恐ろしい話がたくさんある。「ケンペイタイ」ということばを
口にすると、人々は心に恐怖の念が打ちこまれる思いをもつことだろう。ケンペイタイは島全体にスパイを
おいた。だれを信じてよいのかだれにもわからなかった。スパイによって日本軍に通報された者は、オーチ
ャード通りにあるYMCAや、クィーン通りにあるラッフルズ女学校といったケンペイタイの建物に連れて行
かれた。そこで彼らはあまりにもひどい拷問を受けたので、多くの者は自分の受けた苦しみを人に告げることなく死んでいった。」

マレーシア 中学校二年生用「歴史のなかのマレーシア」(一九八八年版)
「日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地である
かのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本の支配はイギリスよりずっとひどかった。
日本がマラヤを占領したとき、彼らは中国人に対して、厳しく乱暴だった。彼らはすべての中国人は反日であると
疑っていた。シンガポールを占領したのち、日本は数万人の中国人を殺した。マラヤの他の地域の中国人もまた、
同じようにひどく扱われた。疑いを持たれた人間はすべて捕まえられ、刑務所に入れられた。」