>>868 >>1

教育勅語に理論的な矛盾ならいくらでもある

例えば親を大事にするとの徳目は、親に服従すべきなのかということだ

親を大事にするなら、バランスとして同じぐらい親が子供を大事にすべきとしないと
毒親・児童虐待の文化になりかねないし、DVに従えという論理では話にならない
親であったら子供になにをしても許されるとなったら道徳としては破綻するが、そのガードがない

不義について子は(父)親を諌めることができるが、
三度諌めて駄目なら服従するという則がある

子之事親也、三諫而不聴、則号泣而随之

不義とは儒者の定めた道徳規範に反することだが、儒者の道徳規範・義が主君への忠誠ならば、やはり
家の中の問題では、横暴を止める決定打にはならない

また親には父親と母親がいるわけで、そのどちらを優先するかの倫理判断はあるのかといった問題だ

例えば親が新興宗教に入る場合、親孝行をするとなったら
子供も親が望む新興宗教にはいったほうが望ましくなってしまう

父親と母親も一体のようなイメージだが、現実は片方の親が一方的にストレスをためて我慢していたり
するかもしれない