>>293 >>1

ドイツはイギリスと同時期に改革をはじめたが、(領主のいない)地方分権型を推進した

カロリング朝(カロリンジアン帝国)の始祖はカール大帝(またはドイツ人貴族のシャルル・マーテル、もしくはさらに前のピピン1世)だ

リューベック法(1188年)
マクデブルク法(10世紀)
クルム法(1233年)

神聖ローマ皇帝オットー(一世)が定めたStadtrechtは都市に自治、地方議会(選挙ではなく議員からの選定)、
徴税権をもつ都市政府を誕生させた

教会領などから独立した自由都市も発達した

(平民も含めた選挙でローマ皇帝に選ばることにこだわり、華美を嫌い僧侶のような質素な生活をしていたとされる)カール大帝が
アウグスティヌスの神の国を気に入っており、都市のキリスト教化を目指していたことは良く知られている

https://en.wikipedia.org/wiki/Charlemagne
Einhard tells in his twenty-fourth chapter:

The subjects of the readings were the stories and deeds of olden time: he was fond,
too, of St. Augustine's books, and especially of the one entitled "The City of God".[119]