>>280

>毛野国の首長はヤマト国を代表して中国、朝鮮との外交や軍事に活躍し、中央政権でも大きな力を持つ首長でした。
>この5世紀前半に活躍した王たちの古墳は、白石稲荷山古墳(藤岡市)、正六浅間山古墳(高崎市)、前橋天神山古墳(前橋市)、お富士山古墳(伊勢埼市)、別所茶臼山古墳(太田市)、太田天神山古墳(太田市)です。
>この首長たちはヤマト国の中心で活躍し、連合王国の一端を担っていた王たちで、ヤマトの王や吉備の王などと肩を並べてヤマト王権を運営していたと考えられます。その後、ヤマト王権は中央主権を強め、毛野国などの地方の列強の力を弱める策に出ます。
>これが武蔵国造の乱のような事件となります。とはいえ、上毛国、下毛国の両国ともヤマト王権内で一定の地位を保っていました。
>7世紀に関東の上毛野、下毛野、大野、佐味、池田、車持の6氏族がそろって朝臣に任ぜられた記録があり、これらの氏族が上毛野、下毛野の有力氏族と考えられます。

>上毛野国は前橋、高崎、藤岡、伊勢崎、太田の地域にまたがる、各地域の有力豪族の小国が連合した連合国家の様相を呈していたようです。
>時期により、最大の古墳を作る集団が異なっており、最も力のある首長がその時代の上毛野国のリーダーとなったのでしょう。