邪馬台の正しい読みはヤマトで、すなわち、大和

しかし近畿地方の大和に邪馬台国があったわけではない
別の土地にいた人たちが移り住んで、
新しい土地に元いた地名をつけるのは古今東西よくある

ヤマト国(=いわゆる邪馬台国国)の正しい場所は、出雲

黄河文明に滅ぼされた長江文明の末裔が九州にたどり着き、
生産性の高い稲作のおかげであっという間に発展した
それが九州王朝であり、多くの日本人のルーツはこの人達

中国北方騎馬民族は匈奴、戎など複数の部族に分かれて戦争しており、
その戦いに敗れた人たちが、朝鮮半島を経由して何回か日本にやってきた
彼らは製鉄技術のおかげであっという間に発展した
そのうちの1つが出雲王朝

九州王朝と出雲王朝とが連合国家となり和(=わ)国が誕生する
手を取り合って仲良くする意味での連合国家なので
「倭」ではなく「和」が正しい

その首都が出雲王朝におかれ、大和となった

農耕民族に製鉄技術がもたらされ、和国は大きく発展し
九州から関東までの西日本と、朝鮮半島の南端部を支配下に収めた


そのように強大な出雲王朝だったはずなのに、
邪馬台国国は九州だ、畿内だと全く見当はずれの議論になってしまっているのは
出雲王朝の真の歴史が闇に葬られてしまったからだ

それが有名な国譲り神話である