>>361
違うぞ
そば切りの発祥は各地で自然発生的に興ったという感じではないかとなってるが少なくともそば切りの最古の記録が残されてるのは長野だぞ



■そば切りの発祥地
「そば切り」の文字は天正時代(1574)から

今日、「そば」と言えば麺状の「そば切り」のことを指す。食用としてのそばの原始形は粒食であり、次に粉食になってからも「そばがき」など単純な料理の時代が続いた。
「そば切り」という形が何時ごろ発案されたかは明確でない。残っている書物を当ってみても戦国時代以前には該当する記述がなく、安土桃山時代の天正に至って「そば切り」という文字が初めて登場する。
長野県木曽郡大桑村定勝寺に保存されていた古文書によれば、天正2年(1574)本堂修理の竣工祝いにそば切りを振舞ったと記述されている。
現在ではこれがそば切りに関する最古の記録であろう。
鎌倉時代以前の文献にすでに「麦縄」、「索餅」という文字が見える。これらは小麦粉で作った麺を意味し、索餅はソウメンの原型ではないかと考えられている。
15世紀になると、ウドンを意味する「切麦」という文字が出てくる。ソウメンやウドンを作る者が「そば粉を麺に出来ないか」と思いつくのは自然のことと考えられ、
戦国時代から江戸時代にかけて、各地に自然発生的にそば切りがうまれたのではなかろうか。
俳人森川許六編、宝永3年(1706)刊「風俗文選」には、「信濃国本山宿(塩尻市)より出で、あまねく国々にもてはやされける」とある

ちなみに武田家終焉の地「天目山」はそば切り発祥の地ともされているそうで、
元禄年間に尾張徳川家家臣、天野信景が書いた書物には「そば切りは甲州より始まる、天目山参詣の時そばを練りて蒸篭とせし、
その後うどんを学びてそば切りと成すと信州人語りし」となっているそうである。

「江戸蕎麦」が甲斐の国と言うそば切り発祥の地を土壌とし、
武田信玄という有力武将の死を発端にいただき、それを攻め滅ぼし、後に国替えの憂き目を乗り越え江戸幕府を開く徳川家康の存在を踏み台にして生まれてきた流れに物語性を与える気が致します。