>>18
もともとコア部分の皇族プロパーは江戸時代から顔が濃い。そのなによりの証拠が、この北白川家の「東武皇帝」能久親王だ。
江戸時代のうちに東下りして上野寛永寺の法主となり、徳川家康以来の有事計画通り、
戊辰戦争後半の奥羽越列藩同盟結成時には、東北諸藩に君臨する「東武皇帝」として即位した。
山口県の長州藩ごときが手出しできる存在ではない。
その道久親王のお顔の濃いこと濃いこと。明治天皇そっくり。

皇室の顔が薄くなったのは、香淳皇后の血が混じって以降。
あるいは柳原二位局の血が混じってからともいわれる。