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【滋賀】法隆寺式の瓦が大量出土 蜂屋遺跡、関連寺院存在か
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0001ニライカナイφ ★
2018/11/03(土) 05:45:26.39ID:CAP_USER9
滋賀県文化財保護協会は1日、同県栗東市蜂屋の蜂屋遺跡で新たに溝跡が見つかり、法隆寺の屋根に使われたのと同じ文様を持つ飛鳥時代後半(7世紀後半)の瓦などが大量に出土したと発表した。
同協会によると、法隆寺と深い関係を持つ寺院が存在した可能性があるという。

法隆寺式軒瓦と呼ばれ、蜂屋遺跡の南北に延びた4本の溝跡から出土した。
溝跡は幅約1.0〜3.5メートル、深さは約20〜40センチあった。

溝跡からは、670年の焼失後に造営された現在の法隆寺で使われた法隆寺式軒瓦50点以上や、焼失前の創建時に使われた「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦」2点などが出土した。法隆寺と同じ道具が使われたことも判明した。

寺院の屋根の両端に取り付ける鴟尾(しび)の破片も見つかった。
溝跡から大量の瓦が出土したことから、蜂屋遺跡には瓦ぶきの屋根を持つ寺院が存在し、出土した瓦の特徴から飛鳥時代後半に創建されたと考えられるという。

写真=蜂屋遺跡から出土した法隆寺式軒丸瓦(滋賀県文化財保護協会提供)
https://www.jiji.com/news/kiji_photos/0181101at34_p.jpg

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018110100954&;g=soc
0024名無しさん@1周年
2018/11/04(日) 03:03:26.40ID:fc9vi+QZ0
>>1
2018/11/01
法隆寺式の瓦が大量出土=蜂屋遺跡、関連寺院存在か−滋賀県
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018110100954&;g=soc
https://www.jiji.com/news/kiji_photos/0181101at36_p.jpg
蜂屋遺跡から出土した忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦(滋賀県文化財保護協会提供)
https://www.jiji.com/news/kiji_photos/0181101at34_p.jpg
蜂屋遺跡から出土した法隆寺式軒丸瓦(滋賀県文化財保護協会提供)
0025名無しさん@1周年
2018/11/04(日) 03:03:39.07ID:fc9vi+QZ0
2018年11月2日
滋賀・蜂屋遺跡
法隆寺「兄弟瓦」が出土 7世紀、同じ木枠の蓮華文 聖徳太子ゆかりの寺跡か
https://mainichi.jp/articles/20181102/ddn/041/040/016000c
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/11/02/20181102oog00m010048000p/6.jpg
 滋賀県教委は1日、同県栗東市の蜂屋遺跡で、法隆寺(奈良県斑鳩町)の創建時の遺構「若草伽藍(がらん)」と中宮寺跡(同町)
で出土したものと大きさや文様が全く同一の瓦が、全国で初めて見つかったと発表した。
7世紀後半の飛鳥時代に両寺と密接な関係を持つ寺院が、栗東にあったとみられる。
両寺とも厩戸(うまやどの)皇子(聖徳太子)と縁が深く、県教委は地方への仏教文化の広がりを探るうえで重要な発見としている。

2018年11月01日
法隆寺と同じ軒瓦出土、関連寺院造営か 滋賀、飛鳥時代の遺跡
https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20181101000219
https://www.kyoto-np.co.jp/picture/2018/11/20181101211653kawara450.jpg
蜂屋遺跡の溝跡から見つかった忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦。花托の丸い盛り上がりの間に小さく膨らんだ傷があり、法隆寺と同じ軒瓦と分かった

 滋賀県文化財保護協会は1日、縄文時代から中世にかけての集落遺跡「蜂屋遺跡」(栗東市蜂屋)で新たに
建物の溝跡が見つかり、法隆寺とその周辺以外では見られない軒瓦が出土した、と発表した。
飛鳥時代後半(7世紀後半)の軒瓦で、「法隆寺と強い関連があった寺院がこの土地で造営された有力な手掛かり」といい、
専門家は当時では有数の文化拠点があった可能性を指摘している。
 河川改修に伴い約6千平方メートルを調査。

 軒瓦は「笵(はん)」と呼ばれる木型で作られ、繰り返し使われると笵に傷ができる。そのため、同じ笵で瓦を作ると、
文様とともに傷も写し出される。2点の軒瓦はハスの花の文様で、花托(かたく)に小さく膨らんだ傷があった。
この傷や文様の細かな配置が、法隆寺創建当時の遺構とされる「若草伽藍(がらん)」の軒瓦と一致するという。
 奈良時代の資料によると、蜂屋遺跡がある栗東市北部は当時、法隆寺の水田や倉があったとされる。
今回の軒瓦の発見で、同寺との関係が飛鳥時代にさかのぼれるという。
 出土した瓦からはほかにも県内では数点しか見つかっていない法隆寺式軒瓦が50点以上確認された。
 同協会は「法隆寺から軒瓦が持ち込まれたか、この土地で同じ笵を用いて軒瓦を作ったと考えられる。
法隆寺と強いパイプを持った有力者がいた」と説明。

2018年11月2日
飛鳥期の寺院の存在確実に、法隆寺と交流示す瓦も 栗東・蜂屋遺跡
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20181102/CK2018110202000017.html
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20181102/images/PK2018110102100249_size0.jpg
(右)出土した法隆寺式軒丸瓦(左)法隆寺に使われている軒丸瓦=奈良文化財研究所提供
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20181102/images/PK2018110102100250_size0.jpg
(右)出土した忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦(左)法隆寺若草伽藍跡の瓦=奈良文化財研究所提供

 蜂屋遺跡周辺には、古文書に寺院が存在していたとの記載があり、「仏法寺」や「宗寺」などの小字名も残っていることから、
寺院があったと想定されていた。周辺の河川工事に伴い、昨年度から同遺跡を調査していた。
 今回発見された四つの溝跡は、いずれも長さ約二十四メートル、深さは〇・二〜〇・四メートルで、
二つずつの溝が一組になっている。幅は東側の組が約一メートル、西側が約二〜三・五メートル。
溝の間には築地塀が建設されていたことが分かった。また、堀立柱が建てられていた跡や、建物の屋根に飾られる
鴟尾(しび)も見つかり、寺院などの雄大な建物が建っていたことが確実となった。
 発見された五十点以上の軒瓦は、法隆寺に使われている軒瓦を模した法隆寺式と呼ばれるものだった。
法隆寺式の軒瓦は、県内では九遺跡目の出土だが、他の遺跡では数点程度しか見つかっていない。

 滋賀県立大学名誉教授の林博通さんによると、飛鳥時代に中央国家が仏教の普及を進めており、
蜂屋遺跡と法隆寺との関係は文献で状況証拠が確認できていたという。林さんは「今回の瓦などの発見は物的証拠で、
地方豪族が法隆寺の力を借りて寺院建設に取り組んでいたことが確実となる、意義のあるものだ」と話した。
0026名無しさん@1周年
2018/11/04(日) 03:04:03.57ID:fc9vi+QZ0
2018.11.1
法隆寺と深いゆかりの証拠 滋賀の遺跡、同じ木型の瓦
https://www.sankei.com/west/news/181101/wst1811010038-n1.html
https://www.sankei.com/images/news/181101/wst1811010038-p1.jpg
発掘調査で見つかった4本の溝跡。法隆寺式軒瓦が多量に出土し寺院があったとみられる=滋賀県栗東市蜂屋(川瀬充久撮影)

 滋賀県文化財保護協会は1日、発掘調査中の蜂屋(はちや)遺跡(滋賀県栗東市蜂屋)から、
聖徳太子が建立したとされる世界遺産・法隆寺(奈良県斑鳩町)と同じ木型で作られた瓦が見つかったと発表した。
奈良県外で法隆寺と同じ木型の瓦が出土するのは初めて。同協会は「法隆寺との結びつきの深さを示すもの」と説明している。
 今回の調査では、遺跡を南北に走る長さ約11〜約24メートルの溝跡4本が見つかった。
溝は2本ずつ対になっており、間には築地塀(ついじべい)があったとみられる。
 溝跡からは大量の瓦や屋根飾りの鴟尾(しび)の破片が見つかった。このうち軒瓦(のきがわら)は大半が
法隆寺西院伽藍(さいいんがらん)と共通の紋様が描かれた「法隆寺式軒瓦」で、同寺にゆかりのある
白鳳時代(7世紀後半)の寺院跡とみられる。
 寺院跡からは法隆寺の若草伽藍跡でみられる「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦(にんとうもんたんべんれんげもんのきまるがわら)」
も出土し、瓦の中央部分の傷跡が法隆寺のものと一致した。瓦は「笵(はん)」と呼ばれる木型で紋様がつけられることから、
法隆寺と同じ木型で作られた瓦と判明した。
 奈良時代の「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」は、法隆寺が当時、畿内や四国、中国地方に領地を所有していたと記している。
蜂屋遺跡の周辺一帯には同寺が管轄する水田や穀物を貯蔵する庄倉が多くあったとされていたが、
今回の調査でそれが裏付けられた形だ。
 滋賀県立大の林博通名誉教授(考古学)は「当時の地方豪族にとって寺院建立は、力の誇示だけでなく
地域の先進性を高める効果もあった。法隆寺との強い関係は、地方寺院建立の経緯を解明する上で大きな意義がある」としている。


2018/11/2
滋賀の寺跡に法隆寺瓦 蘇我氏勝利で勢力下に
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3727213002112018CR0000/
https://www.nikkei.com/content/pic/20181102/96958A9F889DE1E5E0E5E0E3E1E2E2E0E3E3E0E2E3EA9180E2E2E2E2-DSXMZO3727211002112018000001-PB1-2.jpg
滋賀県栗東市の蜂屋遺跡の寺跡で見つかった「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦」(滋賀県文化財保護協会提供、左)と法隆寺のもの(同寺所蔵・奈良文化財研究所提供)=共同

奈良県斑鳩町にある世界遺産・法隆寺と同じ文様の瓦(7世紀後半)が滋賀県栗東市の蜂屋遺跡の寺跡で見つかり、
滋賀県文化財保護協会が1日、発表した。法隆寺と同じ木型で作られた「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦」が奈良以外で
見つかるのは初めてで、法隆寺との密接な関係がうかがえるという。瓦は寺の西端とみられる溝から大量に出土した。
遺跡付近は古代には栗太郡物部郷と呼ばれ、飛鳥時代に豪族物部氏の領地だった。仏教受け入れを巡る丁未の乱(587年)で、
聖徳太子が味方した蘇我馬子が排仏派の物部守屋を滅ぼして以降は、法隆寺の荘園や倉庫が設けられたことが分かっている。
瓦は遺物用コンテナで200箱分も出土した。このうち数点の忍冬文瓦を確認。聖徳太子が建てた法隆寺や中宮寺の瓦と文様や
細かい傷痕が同じで、同一の木型で作られたと分かった。
屋根に取り付ける鴟尾(しび)とみられる破片もあった。軒瓦のほとんどは法隆寺式軒瓦で、滋賀県内の他の寺跡でも
見つかっていたが、いずれも数点程度だった。
溝跡は4本あり、長さは1本が10メートル以上、3本が24メートル以上、深さ約0.2〜0.4メートル。溝と溝の間に築地塀が
あったと推測される。
塀の外側では掘っ立て柱建物跡が複数見つかり、寺の関連施設だった可能性がある。
滋賀大の小笠原好彦名誉教授(考古学)は「寺を造った氏族は法隆寺と強いつながりを持ち、
伽藍(がらん)配置も法隆寺式だったかもしれない」としている。
付近は手原廃寺や寺院跡とみられる下鈎東遺跡などがあり、古代寺院の密集地だったという。
0027名無しさん@1周年
2018/11/04(日) 03:04:34.36ID:fc9vi+QZ0
2016/10/17
【歴史】国内最大級の大型建物跡と鍛冶工房を発見 滋賀県彦根市の稲部遺跡 [無断転載禁止]©2ch.net
https://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1476695491/
【考古学】大型建物や鍜冶工房群発見=邪馬台国時代、国内有数規模−滋賀 [無断転載禁止]©2ch.net
https://potato.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1476706449/6-9,14,15,19,20
http://log●soku.com/r/scienceplus/1476706449/6-9,14,15,19,20
【歴史バトル】大型建物や鍜冶工房群発見=邪馬台国時代、国内有数規模―滋賀 [無断転載禁止]©2ch.net
https://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1476700742/171,322,324,346,373,374,677-679,790,815
http://log●soku.com/r/newsplus/1476700742/171,322,324,346,373,374,677-679,791,816
2016/10/21
【歴史】鉄工房、権力の象徴? 滋賀・稲部遺跡、邪馬台国時代に光…交通の要所、発展か©2ch.net
https://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1477053967/31

2011/07/26
【滋賀】「邪馬台国は守山にあった!」とする近江説を盛り上げる動き…銅鐸出土で
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1311670443/
邪馬台国近江説◇論争に終止符!
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1290130003/
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