>>413の続き

韓国軍の参戦

1961年11月、クーデターにより政権を掌握した朴正熙国家再建最高会議議長はアメリカを訪問すると
ケネディ大統領に軍事政権の正統性を認めてもらうことや
アメリカからの援助が減らされている状況を戦争特需によって打開することを意図して
ベトナムへの韓国軍の派兵を訴えた[2]。ケネディ大統領は韓国の提案を当初は受け入れなかったが、
ジョンソン大統領に代わると1964年から段階的に韓国軍の派兵を受け入れた[2]。
1965年から1972年にかけて韓国では「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」
をスローガンに官民挙げてのベトナム特需に群がり三星、現代、韓進、大宇などの財閥が誕生した[2]。
アメリカはその見返りとして、韓国が導入した外資40億ドルの半分である20億ドルを直接負担し、
その他の負担分も斡旋し、日本からは11億ドル、西ドイツなどの西欧諸国からは10億3千万ドル調達した。
また、戦争に関わった韓国軍人、技術者、建設者、用役軍納などの貿易外特需(7億4千万ドル)や
軍事援助(1960年代後半の5年間で17億ドル)などによって韓国は高度成長を果たした[3]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89#.E9.9F.93.E5.9B.BD.E8.BB.8D.E3.81.AE.E5.8F.82.E6.88.A6

>日本からは11億ドル、

日韓基本条約での有償無償5億ドルは当時の日本にとって財政的に非常に厳しいものでした。
それを考えればこの11億ドルがいかに巨額か分かります。
国交がない国へのその様な負担は、いかに間にアメリカが入ったとはいえ無理だったでしょう。
その様な観点から韓国側は日本との国交回復は必要だったでしょう。

続く