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さらに言ってしまえば、「人間」を「労働力」という側面でしか見ない政策が、憎悪と対立につながっていくことも、我々は歴史から学ぶことができる。
政府が「労働力の輸入」に舵を切ってから3年後、「朝鮮移民」が増えた日本で
「在京朝鮮人の過半数は内地へ来て一年か二年経つと思想的に悪化し当局に対して白眼視する様になる傾向が現れて来た」(読売新聞1920年8月24日)
という問題が発生している。
そのように聞くと「当時の朝鮮人は悪さをすることを目的にやってきた犯罪者も多かった」と、トランプ大統領のようなことを言う人も多いが、
実は当時の朝鮮人の態度が悪くなる最大の理由は、「日本人のような扱いを受けられない」という不満だった。

先ほどの新聞記事に登場した朝鮮人はこんな風に述べている。
「内地人と私等とを差別されるので困る。学生は学校、職工は工場で、其他日毎に遭ふ日本人は皆一様に私達に侮蔑的態度で接してゐる。
相当な地位或は財産が出来て内地の婦人を娶ろうとしても鮮人だからと云ってまとまらぬ」(同上)
日本人側がいくら外国人を「労働者」や「移民」と呼んで、日本人と異なる特別扱いをしたところで、
それはこちらの一方的な押し付けであり、当の外国人は日本で暮らして働く以上、遅かれ早かれ日本人と同じ扱いを望むようになる、ということだ。

皆さんも想像してほしい。もしどこかの別の国へ移住して、その国の言葉をしゃべり、その国の中で立派に働き、そこで家族を養うようになったら、
その国の人とせめて同じくらいの権利や公共サービスを受けたいと思うのではないか。
その国で何年も暮らしているのに「外国人労働者」と言われ続け、体調を崩して働けなくなったりしたら、すぐに国から出てけと言われたらどうか。
「差別」だと感じるのではないか。
100年前、日本にやってきた朝鮮人労働者が感じた「差別」というものが、
「従軍慰安婦」の問題や今回判決が出た徴用工の問題にもつながって、「負の遺産」になっているのは、動かしがたい事実なのだ。