☆ 土日は政治三昧の日です

(前略)

そう言うと、「既に日本は移民国家だ」という開き直る人も多いが、なぜそうなってしまったのかというと、今から100年前、良識のある日本人たちの「警鐘」を無視したからだ。

● 100年前の雇用ミスマッチで 政府は朝鮮人労働者を“輸入”

1917年、北海道や九州の炭鉱で深刻な人手不足が発生した。
当時、日本の人口は右肩上がりで増えていた。
おまけに、ワークライフバランスなんて概念もないので、労働者は朝から晩まで働かされた。

そんな状況でも「人手不足」だというのだから、炭鉱業では常軌を逸した「雇用のミスマッチ」が蔓延していたわけだが、日本政府はそれを是正することなく、禁断の果実に手を出す。
「試験的」という名目で、三菱、三井などの炭鉱に朝鮮人労働者約700名の受け入れを行ったのである。
だが、当時の新聞人は今と比べてかなりまともだった。

「読売新聞」(1917年9月14日)の「労力の輸入 最後の計算を誤る勿れ」という記事が以下のように警鐘を鳴らしている。

「鮮人労働者の輸入は生産費の軽減を意味し随(したが)って生産品の低廉を意味するが如きも事質に於ては只内地労働者のエキスペンスに於て資本家の懐中を肥やすに過ぎざるなり」

「要するに鮮人労働者を内地に輸入するは我内地の生活を朝鮮の生活と同一の水準に低下せしむるとなしとせず」

これは杞憂でも妄想でもなかった。「試験」の結果に気を良くした経営者は続々と「鮮人労働者」を受け入れた。
しかし、その一方で、日本の労働者の待遇は一向に上がらず、程なくして小林多喜二の「蟹工船」に描かれたようなブラック労働が定着していったのである。

この100年前の過ちを、さらに大規模なスケールで繰り返そうというのが、今回の「外国人労働者の受け入れ拡大」なのだ。
さらに言ってしまえば、「人間」を「労働力」という側面でしか見ない政策が、憎悪と対立につながっていくことも、我々は歴史から学ぶことができる。

● 生活の基盤を持つ 外国人が感じる「差別」

政府が「労働力の輸入」に舵を切ってから3年後、「朝鮮移民」が増えた日本で「在京朝鮮人の過半数は内地へ来て一年か二年経つと思想的に悪化し当局に対して白眼視する様になる傾向が現れて来た」(読売新聞1920年8月24日)という問題が発生している。
そのように聞くと「当時の朝鮮人は悪さをすることを目的にやってきた犯罪者も多かった」と、トランプ大統領のようなことを言う人も多いが、実は当時の朝鮮人の態度が悪くなる最大の理由は、「日本人のような扱いを受けられない」という不満だった。

先ほどの新聞記事に登場した朝鮮人はこんな風に述べている。
「内地人と私等とを差別されるので困る。学生は学校、職工は工場で、其他日毎に遭ふ日本人は皆一様に私達に侮蔑的態度で接してゐる。
相当な地位或は財産が出来て内地の婦人を娶ろうとしても鮮人だからと云ってまとまらぬ」(同上)

この主張の是非についてはややこしくなるのでちょっと脇に置く。
本稿で筆者が言いたいのは、日本人側がいくら外国人を「労働者」や「移民」と呼んで、日本人と異なる特別扱いをしたところで、それはこちらの一方的な押し付けであり、当の外国人は日本で暮らして働く以上、遅かれ早かれ日本人と同じ扱いを望むようになる、ということだ。
よそ者のくせに何たる図々しさだ、と思うかもしれないが、それが「人間」というものだ。

皆さんも想像してほしい。
もしどこかの別の国へ移住して、その国の言葉をしゃべり、その国の中で立派に働き、そこで家族を養うようになったら、その国の人とせめて同じくらいの権利や公共サービスを受けたいと思うのではないか。

その国で何年も暮らしているのに「外国人労働者」と言われ続け、体調を崩して働けなくなったりしたら、すぐに国から出てけと言われたらどうか。
「差別」だと感じるのではないか。

どちらが正しい、間違っているという話ではない。
100年前、日本にやってきた朝鮮人労働者が感じた「差別」というものが、「従軍慰安婦」の問題や今回判決が出た徴用工の問題にもつながって、「負の遺産」になっているのは、動かしがたい事実なのだ。

※一部引用しました。全文はソースでどうぞ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181108-00184728-diamond-bus_all&;p=1