7世紀半ばまで、日本と朝鮮は一体であったわけだ
朝鮮半島に統一が出来たとき、日本と朝鮮は別々の国となった
古代においては、日本人も朝鮮人も区別はなかった
言語も文化も全く同じだった
日本の上層部は当時、朝鮮語を話していたようであるし、
百済の支配層は通訳なしで倭人と会話できたと随書にも記されている
  
676年に統一新羅ができたあと、日本は朝鮮から完全に撤退した
しかし日本の天武王朝と統一新羅との間には交流があり、
この交流は新羅にとっては屈辱的な外交だった
そして750年頃、聖武天皇の時代から、皇族、神族、蕃族という支族差別の考えが流行しだした
これは自然発生的に起こってきた氏族差別意識であったという
  
皇族というのは、天皇の家族あるいは親戚であって、神族というのは古事記や日本書紀
に出てくる天孫降臨に随行してきた一族の子孫を表す
すなわち、物部氏・紀氏・大伴氏・蘇我氏・中臣氏などの一族をいう
問題なのは蕃族で、大陸や半島からの渡来人を指している
つまり高句麗、百済からの亡命者と中国・新羅からの渡来人をさしたのである
皇族、神族といえども過去に遡れば朝鮮からの渡来人が多くを占めるわけだが、
この時期、朝鮮からの渡来人であることを隠してまでも皇族が神族であることを主張したのである
というのは日本の政治は、皇族か神族で行われるべきであり、蕃族に日本の政治を
任せるべきでないという政治的差別思想が、この時代背景に生まれてきたからというもので、
実質的に蕃族は新羅人・朝鮮半島の住人を意味していた
このことが、現代にいたるまで朝鮮を目下にみる朝鮮人差別の根本的源流となったものとされる