「終戦当時、強姦された日本人を保護」

1946年、満州からの日本人民間人の引き揚げが
開始されてから、博多港に上陸した日本人引き揚げ者は約1年半で139万人に上った

ソ連兵や北朝鮮の保安隊兵士に強姦されて、妊娠させられた多くの女性が存在した
上陸寸前、絶望して博多湾に身投げした女性も多かった

妊娠した女性の中絶手術が厚生省博多引揚援護局二日市保養所で行われた

二日市保養所は、戦時中の愛国婦人会保養所の建物を利用し、1946年3月に開設された
引揚の混乱の中で暴行を受け、妊娠した女性の中絶や性病の治療等に約1年半にわたって携った

一見したところ男女の区別すらつかず、短く刈った頭を風呂敷で巻き
汚れ痩せ果ておなかだけ膨れた女性たちが、次々と保養所に運ばれてきた
引揚の途上での暴行を避けるため、女たちは一様に髪を短く刈り込んでいたが、膨らんだおなかを見れば
それもまったく無駄であったことがわかり、痛々しさは増すばかりだった

凄絶な体験を経て、一種の精神的な虚脱状態にあったためか、女性たちは概して無言のままだったという
迎えた人々も掛ける言葉も見当たらなかった
まず、「お風呂に入りましょうか。」と入浴をすすめ、衣服の着替えを用意し、2〜3日休養してもらう手順だった
旧厚生省から食料だけは、豊富に支給されていた

手術は、医薬品不足のため、無麻酔で行なわれた
精神と肉体に凄まじい傷を負い、言葉を半ば喪失していた女性たちは、激痛にも一様に黙々と耐えた