>>657
邪馬台国は畿内と気候が違いすぎるので、九州なんじゃないかなぁと思う。

ただ邪馬台国を九州の特に福岡や筑紫平野に置く場合、倭国の範囲が九州から出れない程小さくなる。

魏志倭人伝では漢の時代には倭国で100程の国があったが、魏の時代に交流があるのは30国ほどとある。
帯方郡の役人が海を渡り、九州に上陸してから邪馬台国が登場するまで末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国
の6つの国が出てくる。

筑紫平野に6つの国
九州上陸までの狗邪韓国、対海国、一大国を合わせて9国

北九州説が放射読みを推奨してるのもあって、逆に卑弥呼の支配地域を小さくしてしまう。

魏志倭人伝で言うところの女王国が倭国内の30国で福岡佐賀止まり。
九州中南部が女王国に従わない倭国エリア
本州四国は倭種

卑弥呼が魏に朝見したのも、倭国内で弱小国だったから、権威が欲しかったからと見たほうがいいね。