【西郷どん】西郷隆盛2番目の妻 愛加那の本名は「アリカナ」 戸籍で確認
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>>157
日本史板から
侵略者は琉球だよ
629(舒明天皇元)掖玖(屋久島)に大和朝廷から使者を派遣
682(天武天皇11)多禰人・掖玖人・奄美人に禄を与えた
699(文武天皇3)多禰・掖玖・奄美・度感が朝貢
714(和銅7)信覚(石垣島)・球美(久米島)などの人が大和朝廷に朝貢(『続日本紀』)
715(和銅8)信覚・球美・度感・奄美・信覚が朝貢
720(養老8)南島232人に位階を授ける
727(新亀8)南島132人に位階を授ける
→琉球ではなく大和朝廷に服属してる島があることがわかる
1422 沖縄本島を統一する(第一尚氏王朝)
1470 クーデターにより重臣金丸即位(第二尚氏王朝)
この頃 八重山を侵略
1524竹富島を強制的に服属させる
1447奄美大島に侵略
1466喜界島に侵略(奄美併合完了)
1571再び奄美を服属させる
→どうみても平穏に南西諸島を統一してない
1609 薩摩藩が琉球侵攻のため奄美に立ち寄る。奄美の親方(地主)たちから服属したいとの申し出を受ける
琉球に到着した薩摩藩兵に琉球王国は戦わずに降伏し服属する
1610 尚寧王、徳川家康、秀忠に謁見
薩摩藩領となる。奄美は薩摩藩の直轄となる >>169
明治生まれの俺のおばあちゃんは
片方が「すず」でもう片方が「はる」
今の若い子でもありそうな名前 当時の表記が「アリカナ」で発音が「あいかな」ってこと?
だったら「あいかな」が正解で良いんじゃないの?
当時の表記が「てふてふ」でも今なら「ちょうちょう」でしょ? >>5,15,104,169
キラキラではなく奄美大島特有の女性の名前だよ
カナは奄美大島に伝わる「ムチャカナ伝説」に出てくる美女の名前ムチャカナにちなんでる
薩摩藩から派遣された役人の現地妻にされそうになって拒んだら殺されたって伝説
だから薩摩藩支配下の奄美大島では抵抗の意味もあって○○カナという名前が流行してたわけ 今回の水道売却だが・・
主犯:天皇
理由:金儲け(米英に迫害されてるので金が足らない)
ということで確実のようだな。
「今上は人格者!」とかいってた馬鹿は切腹して死ねよ
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とは言え文化で見れば琉球の方が近いからな >>193
アリカナと発音できなかったのは薩摩人だけ >>22
戦後に編纂した戸籍かなという気はするな。 Q :西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。) >>58
愛人だな
まあそれでも子孫がそれなりの地位に付けたならいいのではないかな >>53
島の女は島の重要産業の大島紬の大事な担い手だから外に出ることはできなかったんだよ。 >>185
もう一つの西郷どんの異端編として放送してほしいな 子孫の女性があいかなという名前の美容院?を経営しとるんとちゃうんか
どないすんねん? >>204
それ何度も貼られてるコピペだぞw
金盗んで無一文の流人になって女に養ってもらってた重野は
ヒモと思われてたろうから捨てられるのは順当 >>1
♪ 愛かな?(イエーィッ) 愛じゃない?(イエーイッ)
♪ 蟻かな?(イエーィッ) 蟻じゃない?(イエーイッ)
♪ 有りかな?(イエーィッ) 有りじゃない?(イエーイッ) >>200
ぎょうてん・あいじん
仰 天 愛 人
うん、間違ってないね。
愛人はアリカナ >>193
薩摩人が「り」の発音できなくて「い」になってしまったからだ
確かに「あいがとございもす」って言うw >>106
奄美大島でガソリンスタンド入ったら、
聞き返しても金額が聞き取れず
しょうがないので万券渡して釣りもらった。 奄美は女の人は「かな」をつけないといけなかったみたいよ 西郷自身が自分の名前を隆盛でも隆永でもどっちでもエエといういい加減な奴だったから
男尊女卑の国薩摩だし自分の妻の名前なんてどうでもよかったんだろ >>200
敵をつくる依怙贔屓はあっただろうな
あと好き嫌いは激しいし
しかし幕末は切れ者だったのに明治維新後の西郷は酷かったな >>1
奄美大島の名門一族である龍家(田畑家)の娘。
幼名は於戸間金(おとまがね、おとまがに)。
「於」は尊称、「金」は加那の古称なので、名は「とま、とぅま」。
奄美の墓には龍愛子と書かれている。
何がなんやら、加那ってのは嫁になったらつけるのは知ってるが、アリとはそもそもどんな意味だ
アリ=愛でいいのか 西郷隆盛と大久保利通 両雄の子孫が対談
https://www.sankei.com/images/news/180308/lif1803080037-p1.jpg
写真右が西郷隆盛の曽孫、西郷隆文氏。
写真左が岩倉具視の来孫、岩倉具房氏。
https://stat.ameba.jp/user_images/20160211/19/nantoseiken-0122/24/fb/j/o0480072213564397407.jpg?caw=800
写真中央が大久保利通の曽孫、大久保利泰氏。
写真右が勝海舟の玄孫、高山みな子氏。
大久保利通と西郷隆盛の子孫が対談するイベントが7日、鹿児島市のホテルであった。共に曾孫に当たる大久保利泰さん(84)東京在住と西郷隆文さん(71)日置市在住。
両家に伝わる数々のエピソードを紹介し
「2人を並べて語るのではなく、時代を乗り切った車の両輪とみてほしい」などと話した。 アリカナもありかな
って即出てくると思ったけど、意外とないな。 下級武士や農民に人気がありチヤホヤされてたら、嫉妬もあるだろ
やたら部下に好かれる課長に部長が嫉妬するのと同じ >>58
つれてきでも幸せになれなかっただろうな。ストレスで即死にそうたわ 愛加那→発音は「アイカナ」
と名前をつけた。
表記するときに
発音が同じ「アリカナ」と書いた。
発音が「かおり」でも
かをり
かほり
とか表記するよね。
漢字が愛加那で「アリアナ」はないかな。 >>235
奄美大島のムチャカナ伝説が名前の由来なので
カナはカナ >>235
なら、
龍郷の田畑家歴代墓地(弁財天墓地)では龍愛子とある。
↑
の愛はなんなんだ? 奄美じゃヤギを食うんだよ。豚の次にご馳走。鶏飯は、ガキの頃から食べてるから珍しくない。 >>241
鶏飯この前初めて食べたけど
アッサリしながらも味わいがあって
具の合わせも良くとても美味しかったわ
アルコール飲んだ後に〆料理にも合いそうな感じ キラキラ? でもかごいまの人は目鼻立ちがハッキリして
毛深いよね もじゃもじゃw >>243
各家庭の味付けがあるからね。久しぶりに食いたくなってきた。 >幕末は切れ者だったのに明治維新後の西郷は酷かったな
一説によると
本物の西郷は幕末に暗殺されてて
維新後は頭パーの影武者だったとか >>248
家族なら一発で赤の他人と分かるだろw
そんな誰状態のオッサンが、デカイ顔で帰ってきたら家族もビックリしたやろうな >>222
吉之助と読んでくれたら、諱なんてどうでもいいと。 >>248
そんなのアリカナ
ってないない
家族わかるやろ >>248
単にブレーンが変わっただけだろ
幕末には精忠組の文官連中や小松や新納などの家老が裏で根回しや準備して
交渉とか派手でおいしいとこだけ西郷が登場してまとめるやり方してたけど
陸軍のトップになったら部下でそれできる奴がいなくなった >>106
日本と琉球の半々かな?
沖縄は豚食文化だが奄美は鶏飯とか鳥系だね。
徳之島から西は完全に琉球文化だが。 明治2年(1869)九歳の菊次郎が、鹿児島の西郷本家に引きとられた。
子どもと別れるつらさよりも、待望の日が来たと愛加那をはじめ竜家の人々はよろこんだ、
鹿児島で養育され、成人後帰郷したら島役人の道が待っているのだ。
愛加那は朝夕菊次郎の平安と生長を神に祈ったが、どうしたのか出郷後菊次郎の音信は
ぷつりと消えた。
廃藩置県で大政は奉還され、旧体制が一新したことは、島でもいちはやく知った。
その激動のなかで西郷は中央政府の顕官となったというニュースは愛加那をよろこばせた。
十一歳になった菊次郎もその父に従って東京へ行っただろう。
そしてその父の引き立てでやがては日本国の役人になるにちがいない。
その菊次郎への慕情をひたすら菊草にそそいだ。いまの愛加那にとって菊草こそ
生きるカであった。菊次郎の音信はなくても、菊草と二人で生き抜いていけば、いつかは
菊次郎に会える日も来る。愛加那は自分にそう言い聞かせる毎日を送った。
その愛加那を奈落のどん底につき落す事件が明治9年(月日不詳)に起った。
「母さーん、助けて」と泣き叫ぶ菊草が、頭髪をざんばらにし、袴をはき、
二本の大刀を滞びた私学校党員に西郷本家へ強引に連れ去られたのである。
菊草14歳、愛加那39歳。 俺は西田の西郷も鈴木の西郷も一回も見ていないから
非国民かもしれないが
一部の理があり、
それは自分の中の大西郷が壊れるのではないかという危惧なんだ 菊草は菊子と改名し、
19歳で大山精之助(大山巌元師の実弟)と結婚したが、生涯愛加那へは音信不通であった。
なお、愛加那は明治35年8月66歳で没している。
明治23年(1890)沖縄県の行政巡視をした尼崎三郎が名瀬で愛加那に会った感想を、
『玉鶴という優美の名にして且つ英雄西郷の愛せし婦人なれぱ、さだめて美形ならんと
憶想せしが、案に相違しただ見る一蛮婦五十位の醜面、しかも全く島風の衣服、
手甲には入墨し裸足にて来る。是には喫驚せざるを得ず。是れ即ち後の京都市長せし
菊次郎の母なり』と記している。
明治31年(1898)西郷流謫地に記念碑建立の際、まだ地面に横たわっていた石碑を
愛加那は足で踏みにじり幾度も唾をはきかけた。 >>260
マナカナ,マナカナ♪
学研のおばちゃんマナカナ♪ 造形局の例の写真、造幣局はご本人というがどう思うよ?
錦の御旗を左手一本でささげているのも
右手が使えないからと見れば納得がいく… 西郷先生は女性が思い切り罵倒できるタイプだからな
有名なのは、面識のない老女に「二度も遠島とは何だ!人でなし!」
と罵倒されて、先生は涙を流して「申し訳ございません」と謝ったんだな
あと有名な豚姫との別れは、豪胆無類の薩摩武士も誰一人笑わずしんみりしたという
確か歌舞伎の演目にもなったな 目の細い西郷に一年間
違和感をもった年でしたね(´・ω・`) それ日本人の名前として
アリカナ?
奄美大島は日本じゃないか >玉鶴という優美の名にして且つ英雄西郷の愛せし婦人なれぱ、さだめて美形ならんと
憶想せしが、案に相違しただ見る一蛮婦五十位の醜面、しかも全く島風の衣服、
手甲には入墨し裸足にて来る。是には喫驚せざるを得ず
現実とは得てして残酷なものです。
「大西郷」もおそらくはほとんど虚像でしょう。 >>200
息子は出世したよな
ギランとか京都の市長した人でしょ >>270
侵略主義で、転じて覇権主義の沖縄本島に跪かなかったから琉球王府から国体保持の捨て石にされ薩摩から奴隷にされた歴史が現代に直結されてる日本でも唯一の場所だからね 愛とか幸とか恵とか付く名前はいろんな事件に巻き込まれたりトラブルや裏切りの連続
愛も恵みも幸いもない人生で終わることが多い。
不妊症患者に多い名前みたいだから子供につけないほうがいいよ。 戸籍なんて基本だろ?
なんで誰も調べてなかった??? >>200
言葉が通じないから無理だって判断したんじゃね?
久武が世話してたり維新後に税制改善してるし息子は奄美に帰ってる >>271
今はその島風の衣服がよいものとされてるし
残った写真は残酷にも愛らしい美貌を写しているから
徳川の残党や左翼がディすればますます
大アイガナ・大西郷となるのだろうな
写真といえば造幣局に残る秘伝写真が本物の大西郷写真らしいな
ダイエット西郷らしい。犬も映っている 陸軍の分列行進曲だって内容は賊将西郷をたたえる歌だからな
こんな行進曲、古金東西ないよ
こんな大楠公級の英雄は、もう現れないだろうな 名前からして容姿は南方系丸出しだったんだろうな。マレーポリネシア系だろう。 >>277
それも含めてその後に肖像画や写真も結構出てきた。それによれば肖像画の顔はよく似ているらしい。糸子が「こげな人じゃなかと」と言ったのは「武士だから浴衣で犬を散歩させるような人じゃない」が現在の説らしいね。 そういえば武豊のひいおじいさんの兄貴の娘が
西郷隆盛とイト夫人との間に生まれた西郷寅太郎の嫁となった
どうでもいい豆知識だが >>200
島流しされてる最中なんて腸煮えくり返ってるでしょうね。
そうでないと生き残った上で一旗上げてやろうなんてガッツ起きないよ >>53
子供は呼べても本妻の手前、妾は呼べない
揉める元だしね
ましてや現地妻だし
勝海舟が芸妓を恋女房にして大事にしてたが
大出世して金があり顔もいいし口も回るでモテてしようがないから
女もほうっておかず浮気しまくりになったが
うちの女房は出来た女房で愚痴の一つも言わないと自慢してたが
女房の方は外面似菩薩内心如夜叉で恨みまくってたのは有名
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