>>99
彼ら海の民の中でも高い身分の者は、南海産のゴホウラ貝で作った貝輪を腕につけるのが縄文時代からの伝統だったが、
弥生時代中期以降、青銅でこれを模した有鉤銅釧がこれに取って代わる

https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/note/notebook31_1.htm
>南海産貝輪にルーツのある有鉤銅釧の分布は、弥生時代中期後半に北部九州に始まり、弥生時代後期に盛行し、
>古墳時代前期前半で終焉に向かいます。

この有鉤銅釧の分布を見ると、>>78に似た分布を示し、尾張や越前、吉備、そして畿内の玄関先である大阪湾岸からも多く出ている
この地域に海人の高位者が地盤を持っていた証だろう
そして有鉤銅釧の鋳型は現在のところ北部九州、それも福岡平野から筑紫平野にかけての地域からしか出土がない
そこが本国で、各地に出張った有力者に有鉤銅釧を授けて送り出したのだと思われる

銅釧出土地
https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png