海人が縄文時代から既に全国と交易する力を持っていたということは、後漢の光武帝に朝貢して
漢委奴国王の金印を貰ったのも恐らくこの海人たちの国であったと思われる
>>114の通り、対馬海流に逆らって半島そして大陸まで行くのは容易ではないので、航海に長けた彼らでなければ難しかっただろう
海人の最大勢力・安曇氏の本拠地は福岡県志賀島であり、ここから金印が出土したのも当然といえる

たまに「何故金印が志賀島なんかに?」と言う人がいるが、それは弥生時代=稲作農耕というイメージが出来上がってしまっているせいだろう
確かに稲作の観点からのみ言えばあんな島には何の価値もないと言っていい
だが実際には当時日本の広範囲に力を持っていたのは海上交通を制していた海の民であり、その本拠地が志賀島であるという認識に立てば
金印が志賀島にあるのは至極当たり前であり、そう認識を改めるのが当時を理解するのに重要だと言えるだろう