日本列島における力関係は、武力による部分はどちらかというと2次的で、
不作の時に助けてあげることができるといったものだったんじゃないかな。
卑弥呼の時代なら九州北部の生産力がトップだったと思うが、
畿内と中京は比較的近くその平野を合わせれば九州北部を圧倒的に上回る。
開拓が進むにつれ力のバランスは変わっていき、
古墳時代が終わるころにはほとんど開拓が終わっていて、
九州北部の立場は畿内・中京に比べ非常に弱くなってた。
畿内と中京では畿内の方が各地域に交通の便が良かったので、
自然と中心地となってったみたいな。