【考古】邪馬台国論争、モモの種が一石 「畿内説」強める
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
発掘調査の現場が公開された「大山古墳」=堺市堺区で2018年11月22日、本社ヘリから木葉健二撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/12/10/20181210dde014040004000p/9.jpg
今年は「古代史最大の謎」とされる邪馬台国論争に一石を投じるニュースがあった。最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)から出土していた大量のモモの種の放射性炭素(C14)年代測定で「西暦135〜230年の間に実った可能性が高い」という分析結果が出たことが、5月に明らかになった。卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)の活動時期と年代が重なり、「畿内説」を強める成果として注目を集めた。
C14年代測定は年代を求める過程で結果に幅が出ることがある。今回も100年という大きな幅があり、この結果を「何の意味もない」とする研究者もいる。ただ、出土土器の形式などから遺跡を3世紀前半とみるか4世紀以降とみるかで意見の相違がある中、モモの種が3世紀前半に納まるという科学の視点が示された意義は小さくない。異なる分野の知恵が合わさり、謎が解き明かされる日も遠くないかもしれない。
■ ■
別の「謎」にも動きがあった。宮内庁と堺市が10月から12月にかけ、日本最大の前方後円墳「大山(だいせん)古墳」(仁徳天皇陵)=堺市堺区、全長約500メートル=を共同で発掘調査し、11月下旬に報道陣と研究者らに初めて公開した。調査した場所は三重の濠(ほり)の一番内側の堤で、円筒埴輪(はにわ)や石敷きが姿を現した。宮内庁は「静安と尊厳」を保つため陵墓への立ち入りは原則認めておらず、今回の調査も保全のためとの位置づけだが、巨大大王墓の一端が垣間見えたことに興奮を隠さない研究者もいた。
発掘調査に外部機関である堺市の職員が初めて加わったことも注目された。宮内庁は「地元の知見を持つ堺市と現場で連携できたことは非常に有益だった」と意義を強調した。陵墓となっている古墳では墳丘と周濠などの周辺域が国と自治体で別々に管理されているケースも多く、こうした動きが適切な管理や公開につながるか期待される。
大山古墳は、国が来夏、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥( もず )・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)の「顔」と言える構成資産だ。登録が実現すれば世界から注目を浴びることとなる。保存や公開の問題に加え、学術的に被葬者が確定できない中で、宮内庁の陵墓名に沿った「仁徳天皇陵古墳」の名称を用いることが適切かなど、他の構成資産と合わせてまだ議論すべきことがありそうだ。
(続きはソース)
毎日新聞 2018年12月10日
https://mainichi.jp/articles/20181210/dde/014/040/010000c?inb=ra 「桃の種をどこまで遠くに飛ばせるか選手権」で占いをやってたんだな 朝鮮日報みたいな文章だなー
キモイ(|||´Д`) >>3
ヤマトなんていう地名は日本中にあるぞ
単純に山の入り口って意味の地名だからな >>1
なぜ桃の種が大量にあったのだろう。
桃の実を集めて加工し、不要となった種をまとめて捨てていたということかな?
仮にそういう行為を数十年にわたって行っていたとすれば、年代測定に幅がある理由も説明できるのだが。 琉球とか蝦夷にいたような部類の未開な民族の集落が
中国〜朝鮮〜九州から来た最新兵器を持つ部族に滅ぼされた痕跡だろ 邪馬台国はマンネリ化した疑わしい畿内にあった濃厚ニュース? そもそも邪馬台国が遷都していないという前提でしか考えていないんだよね。
今の時代でさえ天災による災害は深刻なのに、その時代に災害対策が出来たのか?と言えば無理な話
つまり最初に建国した地で、災害が有れば遷都していてもおかしくないという推測も加味すべきだと思う。 5chは既に在日チョンに買収されているのをご存知ですか?
在日チョンの5ch運営が規制してリンク貼れなくなってしまったので、
「2chの譲渡先、5chの代理人弁護士は通名のしばき隊員」で検索してみてください
そして、在日チョンのバックに居るのは売国政党の立憲民主党です
安倍政権はパチンコ規制など次々に在日チョンに打撃を与える法案を通しているので、
売国左翼や在日チョンは安倍政権を倒そうと必死です
全力で安倍政権を守りましょう
在日チョンの帰化議員がワンサカいる売国政党の立憲民主党
↓
「竹島は日本の領土ですよね?」立民・白真勲(ハク・シンクン)議員を再直撃! 徴用工判決には「コメントできない」連発…
在日韓国人組織の民団は立憲民主党の支持母体の一つ。売国政党の立憲民主に絶対に気を許してはならない
↓
在日本大韓民国民団の中央本部新役員と意見交換 - 立憲民主党
5chの運営がチョンに買収されていると、とっくにバレている以上、完全記者制というシステム止めるべき
チョンに買収されている運営が全てのスレ立てをコントロールするとかありえない
..
.962989576 >>16
当時、桃は超のつく高級品。
だからその種が大量に出てくるところこそが日本の中心、
すなわち邪馬台国のあったところ。
完全にただの思い込み。 言っては難だけど、
九州も畿内もその時代にすでに人が居てある程度進んだ集落をつくってたってだけでどっちが邪馬台国だなんて判別できるわけがない
それこそその時代から生きてる不老不死の仙人でも出て来て証言せんと決着つかないだろう >>3
ヤマトがヤマトじゃないから、ヤマトにしたんだろ?
鈍い奴だなw
魏志倭人伝の邪馬台(ヤマト)の状況の記述、
あれを読んでそれが分からないのなら、
お前は鈍いw >>12
桃缶工場が在ったんじゃねえかな
縄文時代ですら栗の木を纏めて植えて栗畑にしてたんだから、
桃畑が有ったっておかしくないよ
桃の種が出たから邪馬台国とはねww 邪馬台ってヤマトと書いてあるんじゃないの?ヤマタイって読んでいたのが、そもそも間違いだったのでは… >>24
学者にとっては
×永遠のロマン
〇永遠の飯の種
モモの種=飯の種wwww 中国に愛国漫画家がいたらたぶん
徐福が最新兵器と農具、貴金属などを持った子供部隊を連れて
日本を制圧して奈良県に首都を作って天皇と名乗る漫画描くだろうな
実際そうだs 奈良は色々とあるんだから佐賀あたりに譲ってやれよ。 https://i.imgur.com/lUBTnhv.jpg
C14で1800BP前後だと
3世紀前半から中ごろ および 4世紀前半の可能性もでてくるが
桃の種で出てる1820BP以上の場合は4世紀前半の可能性が消える
言ってることわかるか?九州 日本に邪馬台国を指すような物ってあるんだっけ?
本のネタに使えるしまあいいのか 邪馬台国は奈良県で決定か。
残念だったね、クソ度田舎の九州www 宋書倭国伝を読め・・
元々俺らの家紋の銀杏は宋から伝来した
徳川の家紋も昔は三枚の銀杏に三本の矢が三つ葉葵になった・・ 最近の研究では邪馬台国はプサンにあったことが有力らしい。 そんなとこに繁栄した国があるなら、むしろ邪馬台国って意味ないんじゃないか?
九州が繁栄してないとおかしいし。 >>15
これ 魏志倭人伝に「卑弥呼の好物はモモ」とか書いてあったわけじゃないのに >>27
饒速日って結局どこからきたんや?
故郷は天津神と本当に同じなの? まだ桃の種言うてんのかw
確証ないもので仮説を立てても、仮説の域からは出ないのよ ヤマトと言うのは大阪と江戸の関係かもしれない、つまり大阪に対応するのが北九州で江戸に対応するのが纏向、歴史は繰り返す。 >>4
集落ではなく施設。神社=神殿みたいなもんだ。
>>12
「桃種」は施設がなくなって後世や他に見られない点、
同じ近畿圏の「銅鐸」と同じ。
しかも古墳は広域に発展しながら埋葬の「鏡」も主に近畿域で時代で消え「剣」に変わる。
この近畿のブーム性はなんだろう? 九州や奈良の歴史は語るのに、大阪の歴史を語る人が少ないのは不思議
国ぐるみで大阪の歴史を隠そうとしているのかな >1
>モモの種の放射性炭素(C14)年代測定で「西暦135〜230年の間に実った可能性が高い
この「C14」という言葉が出てきた時の年代測定は鵜呑みにしない方がいいよ。 >>11
神功皇后が征服した国に
北九州の「山門」にあった、タブラツ姫という女王が治めてた国があるんだよな
大和朝廷と邪馬台国が同一である必要は無いよな 世界基準ではなく日本の補正を使ってるのもわかる?
神奈川と長野のやつ
複数の桃の種の結果だから4世紀のものだとするのは
ほぼ不可能なんだけどわかるかな >>56
一つの漢字なのに音読みがいくつもあるのは
時代時代ごとの中国での発音を
それぞれ言い伝えてたからなんやで >>12
巻向遺跡が3世紀前半の遺跡だっていうだけだね
この時代の遺跡の年代推定がごっそり1世紀繰り上がったことが、邪馬台国畿内説を決定的にしたので、
別の方法で新しい方の年代推定が正しいと保証されたことはすごい
今まで邪馬台国候補だった吉野ヶ里遺跡や鍵唐古遺跡はみんな邪馬台国の前の倭国大乱時代の遺跡になったから
>>15
巻向遺跡はもう邪馬台国とか関係なく
3世紀の大和王権が少なくとも東海まで、もしかすると南関東まで支配していたことを示す遺跡になってる
古代三関(鈴鹿、不破(関ヶ原)、愛発)が関西と関東の境界だったので、大和王権が関ヶ原より東を支配したのはもっと遅いと思われていたからな この「科学的年代測定」こそが、畿内説の胡散臭さの正体なんだけどなw なんで桃の種を限定して調べるのよ、意味わからんわ。
他は? ながすねびこは白鳥を意味する
ヤマトタケルらしいね
でタケミカヅチも武がつく
ながすねびこ=タケミカヅチ=ヤマトタケルということになる >>22
埴輪の製作年代が結構長期間に渡っていた。
古墳を作るのに時間がかかったのか、古墳のメンテが長く行われていたのかまでは分からない 桃のタネでの祭が卑弥呼として、
桃のタネが後世に見られないのは、
卑弥呼亡き後の台与が、卑弥呼懐疑派の狗奴国王の庇護下にあったか? >>59
可能性としては奈良より大阪や和歌山あたりのほうがありそうだよな
当時は密林でオオカミやクマもいただろう奈良のような山奥に行く理由も無いだろ 邪馬台国と大和王権てシステム違いすぎなんだよ
全く別のものという感じ 海幸彦と山幸彦の神話、
これは、みなと(奴国=博多)から、やまと(邪馬台)が権力を奪った物語。
兄・海佐知毘古=みなと(奴国)=最初に渡来した倭人の地域。
弟・山佐知毘古=やまと(邪馬台)=後の倭人地域?混血?倭人化した九州人?
(※そもそも、毘古=ヒ(日)コ(子)=王しか名乗らない名前。)
神話では、山幸彦が、船で綿津見神宮に渡り、釣り針と霊力のある玉を貰い、
それで海幸彦を懲らしめる。
やまと(邪馬台)が半島の倭人に工作・懐柔し、「釣り針」=鉄の輸入利権!や
「玉」=朝貢利権!を押さえ、みなと奴国の権力を奪い、支配下に置いた。
漢の時代の奴国の朝貢は、邪馬台がさせていたわけだ。
後に同じことが起き、奈良が邪馬台の権力を奪う。3世紀頭の倭国大乱。
奈良が百済地域と通じ、鉄の輸入を押さえ、結果、邪馬台が大乱で負けた。
邪馬台は、奈良のパシリとして魏に朝貢するハメに・・・ >>54
鏡から剣への変化は巫女の神託に頼った宗教的権力から、戦で支配する世俗的権力への変化でしょう
神話の最高神がタカミムスビのような生産力の神からアマテラスなような太陽神へ変化するのも世界的な流れ そもそも九州説の根拠が魏志倭人伝の記述通りの工程をたどったら九州に行きつくという怪しいものだろ?
正確な航路図もない時代の技術ならどんなでかい誤差があっても不思議じゃないのだがな。 なんかいちいちズレてんだよなw
日本最大にして中枢の政権が畿内にあったことなんて
幾多の発掘調査からとっくに実証済みの事実だろ
残る問題は、「邪馬台国」と呼ばれるくにが、
日本の中枢政権を指す言葉なのかどうかという
比較的どうでもいいことだけだ。
例えば江戸時代の佐賀県にあたる藩が独自に貿易してて
それが外国の文献に載ってたからって、
佐賀が日本を代表する国でも何でもないのと同じこと。 キチガイ考古学の原因は明治維新
初代天皇は天武天皇で出身は福井 1820BP以上がでたのは壺体部外面と桃の核だな
種を割って取り出したんだろう
割れてない状態が良いものであれば年代のズレは小さいよな ―――――――――――――――――――――――――――――
(魏志倭人伝の頃の)倭国に、ヤマトの国は含まれていなかった
―――――――――――――――――――――――――――――
国号を「日本国」と改め、倭国との関係を
「遣唐使」が唐の宮廷で説明した内容の一部
旧唐書:貞観二十二年(648年)〜長安三年(703年)のどこか
「日本國者倭國之別種也」<日本國は倭國の別種なり>
「日本舊小國 併倭國之地」
<日本は舊(もと)小國にして、倭國の地を併せたり>
新唐書:咸亨元年(670年)
「使者自言…日本乃小國 爲倭所并」
<使者自ら言う…日本は乃ち小國、倭を并す所と爲す>
※并す=合併する
―――――――――――――――――――――――――――
シナがかつて女王の国として知っていた「倭国」。
それは日本国(本邦読みではヤマトのクニ)と合併した。
<日本國は倭國の別種なり>の意味:
ヤマトの国(小国)+ 倭国 ⇒(拡大)⇒ 日本国デビュー
――――――――――――――――――――――――――― 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>59
日本全国で今の平地が当時は海の底だったりして、当時の地形で考えないと行けないんよ
当時の大阪は、今の大阪城や四天王寺から南へと続く細長い半島が、大阪湾と「河内湖」を隔てていた。
今の浜名湖や宍道湖、サロマ湖のような地形だったの。
その半島に運河を掘って「難波津」という港を作ったのが仁徳天皇
河内湖の周辺、今の枚方市樟葉あたりに大伴氏、八尾市恩智あたりに物部氏、太子町あたりに聖徳太子や河内長野市あたりに神功皇后らの本拠地があった
朝鮮からの使者は難波津の迎賓館に滞在して、そこから先は日本の役人が代理で
船で河内湖から大和川を上って飛鳥まで行ってた
百済の王仁博士も難波津で「難波津に咲くやこの花」の和歌を詠んだしな このタネ撒いたら桃の木なるかな?
胚を培養して最高条件で古代桃 オッカムの剃刀の原則から言って、卑弥呼の時代に邪馬台国と纒向が別々に存在していたというのは節約的でない 石の宝殿
兵庫県高砂市・宝殿山山腹の生石神社に神体として祭られている巨石。
鎮の石室(しずのいわや)、天の浮石(あめのうきいし)または単に浮石とも。
〈伝説〉
生石神社の社伝に、大穴牟遅神と少毘古那神の二神による伝説が伝えられている。
二神が出雲国から播磨国に来た際、石造の宮殿を建てようとして一夜のうちに現在の形まで造ったが、
途中で播磨の土着の神の反乱が起こり、宮殿造営を止めて反乱を鎮圧している間に夜が明けてしまい、
宮殿は横倒しのまま起こすことができなかった。
しかし二神は、宮殿が未完成でもここに鎮まり国土を守ることを誓った、というものである 九州説の人は
サンタクロースが居ると信じてる人と同じ
サンタクロースは居ないとどれだけ言っても受け入れない ヤマタイは、大和の当て字だろう
普通に畿内だろうよ >>78
その他物語としては、支那では西遊記の天界での長寿の実。
わが国では、イザナギの魔除け、水界他界で桃太郎が生まれる実。 桃は原産は中国
弥生期に種の大きい栽培種が伝来したらしい 実はヤマトに行ってない
伝説の国サツマハヤトの架空の場所 纒向学研究第6号2018
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-6.pdf
73ページから
纒向遺跡出土のモモの核のAMS 14C年代測定
桃核の中には、果肉が付いているものも含まれており、
遺物の残存状態の良好さを窺うことができよう。
食ったのかな卑弥呼 >>59
大阪歴史博物館に行って難波津関連の展示を見てこい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています