安倍は無関係なんだな。 パヨクは消えるべき。
森喜朗×田原総一朗「石原慎太郎が揺れた都知事選と東京五輪招致の裏側」 2

――堤さんが仲裁に入って、石原さんは東京オリンピックの招致活動を続けることになった。
森?ところが、石原さんが二〇一一年二月になって、次の東京都知事選挙に出馬しないと宣言するわけだ。
――つまり、石原さんは初めからオリンピック招致をやる気がなかった。
森?石原さんが出ないということになると、選挙に勝てる知事候補を探さなきゃいけない。そうなると、オリンピックどころ
   ではなく、自民党の政治問題になるわけだ。その時の幹 事長がたまたま石原さんの長男の石原伸晃君だった。
   「石原さん、あなたも人の親だろう。あなたが出馬しないと伸晃はどういう立場になると思う。自民党の幹事長が東京
   都知事選の候補者を擁立できず、その相手が自分の父親だということになったら、これは大変な問題ですよ。息子
   の将来を考えるなら、もう一度、考え直してほしい」
――そうやって、石原さんを口説いたんだ。
森?松沢さんには出馬を取り下げるよう説得したんだけれど、本人は「石原さんから再三『出ろ、オレが応援するから』と
   言われて出たんです。それなのに、あなたから止めろと言われても、筋が通りませんよ。石原さんが『止めてくれ』と
   いうなら考えましょう」と言うわけです。そういうプロセスの最終局面で、東日本大震災が起きたんだ。
――東日本大震災は、二〇一一年三月十一日ですね。
森?その前日三月十日の夜、赤坂プリンスホテルで石原父子と松沢、それにぼくの四人が集まって話し合ったのです。
   いろいろなやり取りの末、松沢さんは一応納得して「降ります」と言ってくれた。ところが、石原の親父はなかなか「や
   る」と言わない。伸晃も必死で父親を口説きましたよ。それで、明け方まで膝詰め談判をして、ようやく「やる」というこ
   とになり、夜が明けました。その日の午後ですよ、あの地震は。だから、今でも忘れない。
森?その時、石原さんが「わかった。やりゃ、いいんだろう。その代わり、伸晃のことを頼む」と言うので「わかりました」と
答えたんです。二〇一二年の自民党総裁選挙で、わが派(清和会)から会長の町村信孝だけでなく安倍晋三まで
出馬したにもかかわらず、「オレはどちらも応援しない」と言って伸晃を支持したのは、そういう理由があったからなん
です。
――都知事選出馬の借りを返したわけね。
森?すべて東京オリ ンピック招致のためだったんだ。