木津川駅から3本目の列車に乗り、JR大阪環状線の下をくぐって終点の汐見橋駅へ。ホームの末端には比較駅大きな駅舎が設けられていて、駅員もいます。
目の前には片側4車線の千日前通りが広がっていて、車線の両脇に設けられた歩道を行き交う人も多めです。

それでも、汐見橋駅に出入りする人はごくわずか。広いコンコースはがらんとしています。
大阪の中心部に乗り入れる路線にも関わらず、こうも利用者が少ないと「都会のローカル線」と呼びたくなります。

汐見橋線はいまから120年近く前の1900(明治33)年9月3日、現在の南海高野線の一部として開業。
このころ、南海本線は南海鉄道が運営していましたが、高野線は高野鉄道(のちの大阪高野鉄道)という別の会社が運営していました。

高野鉄道は当初、堺で南海鉄道に接続して大阪と高野山を結ぶ計画でしたが、のちに自力で大阪の中心部に乗り入れる方針に転換。
道頓堀川を渡る汐見橋の近くに道頓堀駅(現在の汐見橋駅)を設け、大阪側のターミナルとしたのです。

しかし1922(大正11)年、南海鉄道は大阪高野鉄道を合併します。ひとつの会社で運営するのなら、ターミナルをひとつにまとめたほうが効率的。
難波駅から高野線に直通する列車の運転がほどなくして始まり、1929(昭和4)年には高野山方面に向かう全ての列車が難波発着になりました。

高野山方面に向かう列車が通らなくなっただけでなく、ターミナルの汐見橋駅が繁華街から外れていることもあり、汐見橋線の利用者は減少。
正式にはいまも高野線の一部ですが、2両編成の電車が終日30分間隔で運転されるだけになりました。

実は利用者が増加している

ただ、1980年代には、梅田方面からJR阪和線方面と南海線方面に短絡して関西空港へのアクセスを強化する地下新線「なにわ筋線」の構想が浮上。
なにわ筋線と南海線は汐見橋駅で接続させ、汐見橋線経由で関西空港に向かうルートを整備することが考えられました。
1990(平成2)年には、なにわ筋線の整備にあわせて汐見橋〜木津川間を地下化する構想を南海が明らかにしています(1990年8月17日付け朝日新聞大阪朝刊)。

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阪神なんば線の桜川駅と南海汐見橋線の汐見橋駅(2018年11月24日、草町義和撮影)。

こうして汐見橋線は、空港アクセス輸送を担う幹線鉄道として「復活」するはずでした。
ところが2000年代に入ると、難波でなにわ筋線と南海線を接続させる案が浮上。
「汐見橋接続案」はほぼ中止に傾いており、「都会のローカル線」から脱却する機会を失ったのです。

現在の汐見橋線は、利用者が少ないまま推移しています。南海が公表している駅別の1日平均乗降人員(2017年度)によると、汐見橋駅は602人で、難波駅(25万4694人)の423分の1しかありません。
中間駅はさらに少なく、最も利用者が少ない木津川駅は123人。これは高野線の山岳区間にある高野下駅(101人)より、少し多い程度です。

ただ、近年は汐見橋線の利用者が増えています。
大阪府の統計資料によると、汐見橋駅の1日平均乗降人員は2008(平成20)年度が364人だったのに対し、2016年度は575人。
数百人台という状況に変化はないものの、8年間で1.6倍です。南海は取材に対し「利用者が増えているのは確かですが分析したことはなく、増加の理由も分かりません」と話しました。

記者の推測ですが、2009(平成21)年には汐見橋駅の近くに阪神なんば線の桜川駅が開業しており、これが関係しているのかもしれません。
阪神線方面から南海線方面への短絡ルートとして、汐見橋線を使う人が少し増えたのでしょうか。