>>839
就職もな。
当時(高度経済初期)の方針としては、農村の人口急増が最大の問題で、
当時の厚生省の資料なんかを読んでみると思わず噴き出してしまう。
「人口増加で餓死者続出の可能性」を心配していた。
貧乏農場から若者を都会の労働力として受け入れるために、
多摩ニュータウンなどの新興住宅地を急ピッチで進めた。
当時は進学率も低かったため、
中卒者を集団就職させた。
所謂「金の卵」と呼ばれていた人達だ。
彼らは皆一律に公団集合住宅に住み、
急激な人口の増加により不足しがちだった大衆浴場を補うべく、
ベランダにユニットバスを設置する措置も取られた。

これが後に堺屋太一氏から「団塊の世代」と名付けられる事になる。