30年前から言われてることだなぁ。
西尾幹二は国民の歴史でもう少し詳しく説明していたっけ。

>中国の天命思想は可能性としては出自や身分によらず誰でもが天子になりうるということを示してさえいる。
これは大衆と、人の心理的距離を縮める距離作用をなしているととく人もいるけれども日本人には理解しがたい。
古代中国の皇帝の権力は無制約であり
絶対的なものであったからだ。
中国の君臣関係は賎民を除外すればその内部では身分制的な要素を持っていない。官吏と庶民の身分的差異は存在したが庶民は官吏に登用される可能性を常に有しているそれならば平等意識があるかと言えばとんでもない。
皇帝を頂点するとする体制は極めて専制的ものであった。
皇帝は、命を報じ上帝とのつながりが切れているのだがそれが故に天子が絶対的超越神の代わりである。

要するに中国では絶対的神がいないから権力者一同をブッ殺せばそいつが天子になって全部を支配出来るてこと。

日本では天皇がいるから絶対的存在になる事は不可能で天皇以下平等なので民主主義が可能だったと言うこと。