>>261
ですね。

承久の乱以降は、
武家の間では、北条家当主が、
トップ(お上)という認識になってます。

幕府が天皇家の継承権も拒否権も、
掌握した時点で、

さらには、天皇家が、次期天皇で、
揉めた時に、自ら幕府に裁定を委ねたり、

武力は当然として、権力に関しても、
幕府は天皇家に圧倒的でした。

当時の武士の認識では、
トップは、北条家当主なんです。

だから「天皇御謀反」と、
当時の武士は日記や口述などで、
普通に表現してわけです。