都会に出て一旗揚げる、なんて昔の話。田舎に新たな挑戦の場を求めて移り住む人が今、少しずつ増えています。都会では考えられなかった自然豊かな職住近接の暮らし。やりがいのある地元の人たちとの起業や協業。行政の過疎対策もあり、移住しやすい環境が整ってきました。ただ、注意すべきポイントもあります。現状と課題を取材しました。

鹿児島市から船で南へ12時間半。人口約130人の亜熱帯の島、宝島で生まれた島産バナナのジャムが今年度、地域おこし産品の全国コンテストで上位入賞しました。
 宝島がある十島村は2010年代に人口が増加し、約700人の村民の2割以上が10年以降に移住してきた人と家族で、新旧住民による新たなにぎわいが生まれています。宝島でジャムを開発した本名一竹さん(35)も滋賀県からの移住者です。
 土日に休めない不動産会社員だった本名さんは、「このままでは子どもと遊ぶこともできない。暮らしを変えたい」と、長男の誕生を機に移住を決意。ネットで十島村の移住者募集を知り、11年に宝島へやって来ました。今は主に、島産物の食品加工を生業にしています。料理の心得もなかった本名さんですが、10種類を超す新商品を開発。「よそから来た新鮮な目で見ると結構、アイデアは湧くんです。発想が商品として世に認められる仕事は楽しい。生活費もあまりかからないので、基本的に仕事は週4日午前中だけ。理想の生活ですね」
 最初の商品化は、移住直後に健康食品用に粉末で出荷される野草、長命草のことを島民から聞いたのがきっかけでした。沖縄県の島の名産としても全国に出荷されているものでした。ネット通販のアマゾンで特産品作りのノウハウ本を買って研究し、「衛生面の課題が少なく初心者向け」とあったドレッシングに仕上げました。
 バナナジャムも移住翌年の初夏、収穫期のバナナをたくさんもらったのがきっかけ。出荷できない規格外品がたくさんあると知り、アマゾンで買ったジャム作りの本で研究し、開発しました。
 島では、本名さんも含めた新旧住民5人が中心になり、地場産品を生かした新商品を製造販売する社団法人を設立。手がけるトビウオの一夜干しや「生ハム」は、数年前に復活した船のトビウオ漁を支えます。また、バナナの茎の繊維を織った布の商品化にも挑戦し今春、帽子などをアパレルの見本市に出品する予定にしています。
 地域はかつて奄美大島の大島紬(つむぎ)の下請けで機織り業が盛んでした。その技術でバナナの布作りに参加する前田梅子さん(66)は「自分の腕が生かせる場所ができたのはうれしいし、島もにぎやかで良くなりました」と、移住者による変化を喜びます。
 今や地域の担い手となった移住者ですが、最初から自活できたわけではありません。村は、新住民が仕事を軌道に乗せるまでの5年間、1日働くごとに最大7千円を補助し、定着を支えます。この支援策を始めた10年は、かつて2千人を超えた村人口が500人台に落ちた年。村の将来を支える人を呼び込もうと始めた支援策が奏功し、年に20〜30人ほどの移住者を呼び込んでいます。人口が増えたおかげもあり、昨夏は国の支援で宝島に村で初めてのガソリンスタンドができるなど、明るいニュースが続きます。島を離れる村民もなお少なくありませんが、村職員の時から移住対策に取り組む肥後正司村長(64)は「自分が子どもの頃の明るい島の暮らしをよみがえらせたい。移住者とともにそこに向かえている、という実感があります」と語りました。

地域再生に一役 国が制度

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2019年2月11日9時30分
https://www.asahi.com/sp/articles/ASM1R4TS5M1RULZU00H.html?iref=sp_new_news_list_n