>>33

実在の証拠が皆無の神武天皇よりも纒向石塚古墳、箸墓古墳を研究すべきだが、こうした遺跡の文脈で国の発生を語れないところが愛国自慰業界の限界と言える

https: //ja.wikipedia.org/wiki/纒向遺跡
3世紀に始まる遺跡で、一帯は前方後円墳発祥の地とする研究者もいる。邪馬台国の中心地に比定する説があり、箸墓古墳などの6つの古墳が分布する。

天照大神にも持統天皇説や卑弥呼説、男神説、その他にも諸説ある

https: //ja.wikipedia.org/wiki/天照大神
天照大神のモデルは淮南子や山海経などに出てくる東海の海の島(日本)に住んでいる十の太陽神の母である義和が該当するとする説もある[16]。
淮南子の冒頭と日本書紀の冒頭が重なる部分が存在する事から記紀の執筆者が淮南子を読んでいたのは間違いないとされる[17]。

また最高神アマテラスの造形には、女帝の持統天皇(孫の軽皇子がのち文武天皇として即位)や、同じく女帝の元明天皇(孫の首皇子がのち
聖武天皇として即位)の姿が反映されているとする説もある[18]。

https: //ja.wikipedia.org/wiki/高天原
天上説
「高天原は神の住まう場所であるから、天上や天より高い宇宙に決まっており、それ以外の場所を考えるのは不遜である」とする説。本居宣長の説が代表的なもので、
戦前は皇国史観と結びついてこの考え方が主流であった。

地上説
「神話は何がしかの史実を含んでおり、高天原も実在したものを反映している」とする説。新井白石の説が代表的なもので「高天原とは常陸国(茨城県)
多賀郡である」とする[1]。地上説にはさらに国内説と海外説がある。国内説の中には、邪馬台国と高天原を関連付けて考える説もある。海外説の代表的な
ものは中華の国雲南説である。新井白石が常陸国説を唱えるまで、京都朝廷では高天原は大和国葛城だとされていた。

いわゆる、高天原はヤマト発祥の地として考えることが地上説である。

作為説
神話は作られたものであるから、そこに出てくる高天原について「どこにあったか?」などと考えること自体が無意味であるとする説。山片蟠桃の説が
代表的なもので、『古事記』における神代のことは後世の作為であるとする。戦後主流となっている津田左右吉の史観はこの考え方に基づく。現在でも
多くの学者は、高天原神話は支配階級のことを「天上界に由来するが故に尊い」とする信仰を語ったものであるという説に与しており、思想的には異な
るものの先の天上説と実質の意味合い的には近い。