去年、制定から50年を迎えた県歌「信濃の国」について、なぜ、県内の地名などが幅広く歌詞に盛り込まれたのか、その作詞の謎に迫る講演会が長野市で開かれました。

これは「信濃の国」が県歌に制定されてから去年で、50年を迎えたのを記念して県が開いたもので、長野市の会場にはおよそ150人が集まりました。

その中では、松本市の旧開智学校の学芸員、遠藤正教さんが講演し、長らく謎とされてきた作詞者の浅井洌が県内の地名などを幅広く盛り込んだいきさつについて、仮説を紹介しました。

遠藤さんは、「信濃の国」が作詞された明治32年当時、県内で使われていた教科書の中に歌詞の言葉の98%以上が掲載されているものがあったほか、2番で歌われている「御嶽乗鞍駒ヶ岳」がまったく同じ順番で教科書に紹介されていたと説明しました。

そのうえで遠藤さんは、きっかけは子どもたちが使う教科書にあったのではないかとして、「浅井は、子どもたちが長野県のことを学ぶ姿を思い浮かべながら作詞したのではないか」と話しました。

親子で講演を聞いた長野市の40代の男性は「なぜこの地名が入っているのか疑問を持っていました。歌詞の背景がわかったことで歌い方も変わりそうです」と話していました。

02月11日 17時47分
信州 NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20190211/1010007630.html
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20190211/1010007630_20190211191422_m.jpg