・弘仁新羅の乱 (新羅や百済難民部落の大騒動)

弘仁11年(820年)2月13日、遠江・駿河両国に移配した新羅人在留民700人が党を
なして反乱を起こし、日本人達を殺害して奥舎を焼いた。両国では兵士を動員して攻撃したが、
制圧できなかった。賊は伊豆国の穀物を盗み、船に乗って海上に出た。 しかし相模
・武蔵等七国の援兵が追討した結果、全員が降服した。かつて朝廷(日本国)は、
すべての流民(新羅人)に口分田を与えて帰化を認め、寛大に遇して恩を与えたが
朝鮮土人たちは、博多などに土着して本国と違法な交易を目論んでおり、
それを見透かされ東国に移されたことを逆恨みしたものと推定される。この乱以降、
北九州各地に住んでいた新羅難民は埼玉、群馬を中心に関東各地に(東北にも少数)
住まわせる事になった。