1回目の聖徳太子の返礼
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、つつがなきや」

隋の煬帝は、これに対し答礼使を派遣し、日本の朝廷に今後そういう非礼はするなと忠告

その後、三度目の遣隋使を派遣し、その時に書いた手紙の内容が
「東の天皇つつしみて、西の皇帝に申す」
と送り返したのが事実だ。