【訃報】歴史学者の直木孝次郎さん死去、100歳 邪馬台国畿内説、河内政権論など戦後古代史研究の指導的役割果たす
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歴史学者の直木孝次郎さん
https://www.nikkei.com/content/pic/20190216/96958A9F889DE6E3E1E5EAE7EBE2E3E4E2E0E0E2E3EB9391EA88E2E2-DSXMZO4137857016022019AC8Z01-PB1-1.jpg
日本古代史研究で指導的役割を果たした大阪市立大名誉教授の直木孝次郎(なおきこうじろう)さんが二日、老衰のため死去した。百歳。神戸市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長女東野美穂子(とうのみほこ)さん。
一九四三年、京都帝国大を卒業して海軍に入隊、海軍士官で終戦を迎えた。大阪市立大教授、岡山大教授などを歴任した。
文献を中心にした律令(りつりょう)国家成立過程の研究で知られ五四年には続日本紀研究会の立ち上げに参加した。極彩色壁画が見つかった奈良県明日香村の高松塚古墳では、被葬者を天武天皇の皇子である忍壁(おさかべ)皇子と早くから推論し注目を浴びた。邪馬台国論争では畿内説の立場で加わるなど幅広く研究し、戦後の古代史研究の指導者的役割を果たした。大阪の河内地方の勢力が初期大和政権を打倒したとする河内政権説を唱えた。
また、平城宮(奈良市)、難波宮(大阪市)の保存運動も率いたほか、万葉集に詠まれた和歌山市の和歌浦の景観訴訟も支援した。
万葉集にひかれ、古代を学ぶ傍ら、歌にも親しみ、八七年の歌会始の召人にも選ばれた。
憲法九条を守り、改憲を阻止しようと結成された「九条の会・おおさか」の発起人にも名を連ねた。八九年に大阪文化賞、二〇〇〇年に和島誠一賞、〇三年に井上靖文化賞を受賞。
著書に「日本古代国家の構造」「古代河内政権の研究」など。
東京新聞 2019年2月17日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2019021702000146.html
日本経済新聞 2019/2/16 21:48 (2019/2/17 1:15更新)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41378590W9A210C1AC8Z00/ もし、
死んであの世があるならば、
真実を知って満たされる事もあるんだろうかね?
南無南無・・・ >>1
> 大阪の河内地方の勢力が初期大和政権を打倒したとする河内政権説を唱えた。
これはある意味、俺にとっての原点なんだよね。
九州から攻め上った始祖王応神。 邪馬台国は九州にこまっとろうもん、このバカチンが! けどご冥福をお祈りします 邪馬台国はまあ大体三国志(not演義)
の記述が雑すぎるのが悪い
当時だと中国から見て辺境すぎるから
仕方ないちゃ仕方ないが 日帝ジャップは馬鹿だから
「ジャップは太古の昔から天皇に統一的に支配されていた」
という妄想を維持したい。
しかし『魏史』倭人伝の卑弥呼の記述は、
明らかにそれに都合が悪い。
卑弥呼は「倭女王」、とはっきり書かれてるからな。
だから、ジャップは「邪馬台国は近畿にあった」
という妄説を主張して、自分たちの妄想を守ろうと悪あがきをする。
邪馬台国ネタは、
ジャップの支配層の本質的な幼稚さを暴露する
格好のネタw
だからネットでもどこでも
繰り返し話題にされる。 「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読む奴は馬鹿。
「邪馬台国」は中国の史書に出てきた単語。
だから中国語で読むのが当然。
中国語としてこれを「ヤマタイコク」と読む根拠は無い。
こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w
ちなみに近い隋や唐の時代の音だと「ザマダイ」か「ジャマダイ」などとされる。
この程度のことはその辺の漢和辞典にもついてる。
言っとくがジャップが勝手に「漢音」w なんて呼んでるものは
何の根拠にもならんからな。
だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で
「ヤマタイコク」と呼んで、
ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない!
とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。 永遠に馬鹿なジャップは例によって、
「卑弥呼」を勝手に「ひみこ」と読んで知らん顔。
しかし言うまでもなく「卑弥呼」は中国の史書に出てきた単語。
当然当時の中国語を基準とした読み方をすべき。
幾つかの可能性があるんだが、その中の一つは、
「ぴみは」 ないし 「ぴみか」
になる。
いずれにせよ「ひみこ」なんて読み方はありえない。
勝手に「ひみこ」を正当な読み方みたいにしてんじゃねーぞ、糞ジャップ 九州で金印や三角縁神獣鏡クラスのものが出土すれば
また邪馬台国九州説が優位になるんじゃね? 関東人ってのは能無しでクズばかりだが
同じく能無しの東北人の劣等感も勝るとも劣らないねw
ゴッドハンドねつ造といいそこまでやって恥と感じない精神が韓国人並み
ただただ愚かで醜い東北人関東人のイメージw 土器年代を無理くり変更したり桃の種で妄想するのは
このボスの弟子どもかよ この手のパヨク系学者の説はほとんど妄説。
最初に蘇我氏帰化系豪族説を唱えて、
なんとかという百済人か新羅人を始祖とか言っていたが、
本人も妄想の類いであるとことわっているのに、
その妄説が一人歩きしてしまうような戦後間もない頃の、
今日のようなある程度実証的な研究もなされるようになった時代からすれば、
いわばデンパに近い説の専門家。 最新の学説では邪馬台国は沖縄。日本史板の通説なので。
(=゚ω゚)ノ >憲法九条を守り、改憲を阻止しようと結成された「九条の会・おおさか」の発起人にも名を連ねた。
邪馬台国を畿内ってことにしたい勢力がどんなものかよく分かるね とにかく歴史修正主義者は近畿地方が憎くてしかたないんだな 14代の影の薄さと
15代仁徳から続く大阪の政権掌握をみれば
多くの人がそう考えるわな もうこれを機に
エベンキ朝鮮民族と繋げたり九州だの近畿だののデマで馬鹿丸出しで語るのはやめな
もう四国剣山が邪馬台国のあった場所でキリスト教伝来の物部氏の儀式もあるわけだから
もうこれっきりにしな 邪馬台国畿内説の最大の弱点は、魏志倭人伝の記述にはまったく沿わないことなんだよ。
たしかに大和には有力な政体が紀元300年ころには確実にあった、そして北九州にもまた
有力な政体が紀元300年ころには存在していた。しかしそれは魏志倭人伝のいう邪馬台国
ではない。
魏に施設をおくった邪馬台国とは当時すでに支那大陸と交易をしていた沖縄の民であり
それが大陸の事情で当時の呉に知られず北方の魏と連絡をとるために、九州から朝鮮半島
そして魏にまで使者をおくった。これが邪馬台国と卑弥呼の物語りである。その記録を
600年代、700年代の日本人が逆輸入するかたちで倭人伝を入手し、当時すでに日本を
統一しつつあった奈良・大和の王朝の者たちが、あたかもそれが自分たちが送った使者で
あると勘違いした。自分たち大和朝廷の祖先が送ったものだと勘違いした。これが壮大な
「邪馬台国・畿内説」の誤解の先駆けとなったのである。 九条の会・おおさかって、喧嘩してナイフで人を刺した犯罪者も居たよな。 畿内説は、神武東遷を述べる記紀を神話
つまり史実でない出鱈目とする立場で
左翼と親和性が高い
終戦直後の歴史学では記紀出鱈目説が幅をきかせた 「文明側」が正確に記録するとは限らない事例。
魏志の記述もこれに似たものの可能性もある。
ポウハタン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%82%BF%E3%83%B3
>集落は部族のクラン(氏族)に属する多くの血縁家族で構成されており、部族は男女の酋長を調停役とし、
>呪い師と組んだ協議会を構成していた。酋長は「部族民を支配する」ような「王」や「女王」、「皇帝」という
>ようなものではない。
>白人はインディアンの酋長を「王」、または「支配者」だと思い込んだ。彼らはワフンスナコック(ポウハタン
>酋長)を「ポウハタン連邦の野蛮な皇帝」と呼び、「ワフンスナコックがポウハタン族を支配している」と勘違い
>した。このため、白人たちは「ポウハタン酋長と盟約し、彼を懐柔すればポウハタン連邦の全部族民がこれに
>従うだろう」と思い込み、この酋長に「王冠」を被らせ、従属の図式を作ろうとしたのである。しかし、そもそも
>インディアンの社会はイギリスのような「国王」が支配するような帝国ではなく、合議制に基づく民主主義社会で
>ある。インディアンたちから見れば、白人の企んだこの催しごとは、「白人がやってきて、贈り物と一緒に調停者
>に冠を被せた」だけにすぎない。 婆的墓銘録
2001/4/12 大林太良先生
2004/2/27 網野善彦先生
2007/3/23 鳥越憲三郎先生
2013/8/16 森浩一先生
2013/8/24 谷川健一先生
2019/1/12 梅原猛先生
2019/2/2 直木孝次郎先生 魏志では「官」と呼称している首長が倭の各国に存在していることが書かれている。
勿論、「官」は漢人側の認識である。
邪馬台国にも「官」が存在している。
これは卑弥呼とは別の存在である。 九州から畿内の文明は、通説では稲作の伝播により拡大したというものだが
これは再考すべき点がおおく、そもそも日本列島は九州であれ畿内であれ当時は
現在とほぼ変わらない気候であり、冬には寒さでふるえるような場所である。
そこに居住する際に必須となるのが衣服であって、衣服すなわち繊維、縫製の
技術が伝来することによって日本での定住がようやく可能になったと考えるのが
正しい。それまでは南西諸島のように冬でもほぼ裸でいられるような場所で
なければ人間は定住できなかったのだ。
そして日本の社会が発展するのは、まずは北九州で発生した繊維産業であり
これが東へ東へ通商路を開拓する過程で農耕文明も東へ伝播し、そして
畿内に有力な勢力が生まれるようになる。弥生時代の風景とはこのような
ものであって農耕稲作が日本に弥生時代をもたらしたのではない、こういう
ことである。 人は記憶型と思考型に大別できる
投馬国は沖縄
邪馬台国は鹿児島 えっと、河内人が天皇の先祖っていう理解でよろしいのかな? 倭の五王とかいう謎の勢力と河内に現れた巨大古墳群
普通に考えて権力移ってるよね こいつが狂った畿内説の元凶だったのか!
ここから歴史学が正常化することを祈る。 >>8
逆
天皇家が朝貢してたのはまずいから
九州土人がしてたことにする >>42 の続き
書き始めの部分
從郡至倭・・・ (狗邪韓国)
始度一海千餘里・・・ (対馬国)
又南渡一海千餘里・・・ (一大国)
又渡一海千餘里・・・・ (末廬国)
東南陸行五百里・・・ (伊都国)
東南至奴國百里・・・ (奴国)
東行至不彌國百里・・・ (不弥国)
南至投馬國・・・(投馬国)
南至邪馬壹國・・・ (邪馬台国)
伊都国から方角と距離だけの単純な書き方に変わる
伊都国以降の国々は末廬国を基点として書かれてると推論すると・・・邪馬台国は鹿児島 になるわけさ >>50 の続き
末盧國は九州北部の沿岸になる
で、そこから邪馬台国
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。
少し前のスレでOR説を教えてもらった
九州北部から鹿児島までなら船で10日、歩きだと1ヶ月 もう分かっていることが
邪馬台国はイスラエル王国からの十二氏族のユタ族がアラビア海から沖縄を経て日本本土へ入ったヘブライ人の物部氏族
大和王権は中央アジアメソポタミアのシュメールのヘブライ人達がチベット四川を経て中国秦建国後に朝鮮半島を経て日本九州に入った弥生人
結局沖縄のヘブライ人物部氏が日本に早く渡来したことで出雲やそのほかの日本全国に神社を建て始め
その後にメソポタミアのシュメールの民のヘブライ人の弥生人達が九州に入って
結局沖縄からの物部氏と出雲などの争いで結局シュメール人達が勝ったことで近畿に大和王権が誕生
結局邪馬台国はイスラエル王国でも山岳信仰があったように日本でも山岳信仰してたわけだから
結局邪馬台国の現実は四国剣山での山岳地帯で山岳信仰があった場所で今現在もキリスト伝来の儀式をしてるわけだから
結局大和王権と邪馬台国は別ルートのヘブライ人達の弥生人達だが
結局邪馬台国の九州や近畿など次々説を立て遺跡などは出てても邪馬台国の発見には全くなってない状況なのは元々近畿や九州は邪馬台国でなく大和王権の遺跡だからで
結局邪馬台国は沖縄から鹿児島を経て四国へ渡った邪馬台国の場所が剣山
だからこそ邪馬台国はヘブライ語でマタイの国という意味で
マタイはヘブライ語でキリスト十二氏族の祖と意味で
結局邪馬台国である剣山にキリスト十二氏族の儀式がある時点でもう紛れもなく邪馬台国が四国剣山にあった場所であることが証明されてる
だからこそアメリカGHQが戦後の日本の剣山から人骨や遺品をアメリカ国内の博物館へ持ち込んで今現在も保管しているわけだから 「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読むヤツはいろいろと馬鹿。
まず原資料の表記は、邪馬「台」国じゃなくて 邪馬「壹」国。「一」の難しい漢字。
で、これは中国の史書に出てきた用語。当時の中国語で読むのが当然。
だから例の国の名前が「ヤマタイコク」である可能性はほぼゼロ。ゼロ。
こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w
だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で
「ヤマタイコク」と呼んで、
ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない!
とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。
「ヤマタイコク」(笑)よりまともな推測音はこんなかんじ。
邪
・z-a, ia, ua (1) ザ、ズィア、ズア のどれか
・j-a, ia, ua (1) ジャ、ジア、ジュア のどれか
馬
・m-a, ia, ua (2) マ、ミア、ムア のどれか
壹
・?-in, it(4)イン、イト のどれか
いっとくが j-a, ia, ua は、ヤ、イア、ユア とは読めないからな。 もういいから
いい加減在日ブログ主の馬鹿さ加減に呆れる
一々朝鮮都合の読み方にして朝鮮自体と繋がっているかの如く誤魔化し
日本民族の歴史が朝鮮民族エベンキと繋がっているかのように語るのはやめろ
朝鮮民族自体エベンキなのは周知の事実
朝鮮民族の血の血統はもちろん
朝鮮人達が白頭山の噴火後に朝鮮半島へ入って百済新羅を占領して半島の百済新羅を乗っ取ったのは周知の事実
朝鮮半島の中国の歴史書にも記載されて
挙句朝鮮人達は明治の日本政府に保護されるまで苗字すらない民族で名前しかなく住民登録の為に苗字を名乗るらせ
結局全く血の繋がりのない王族貴族の名前が続出で金や李や朴が続出で結局全く血の繋がりのない同名の苗字が乱立
結局エベンキ語のアリランスリランがのエベンキ語の歌が民族自体を表す歌が民族歌になる時点で紛れもなく朝鮮人達の祖はエベンキ
在日達がエベンキは違うと誤魔化そうが事実は変わらない
もう分かり切った朝鮮都合の嘘などだれも信じないだろ
在日ブログ主 >>1
大阪も古墳があった地域が海のそばなんだけどね。
山崩して余った土を海岸線に積み立てて作ったのが古墳なんだけどね。 コメント見てると結局在日都合の朝鮮都合の歴史の為に物的証拠探しをして朝鮮都合で誤魔化してるだけにしか見えないが
結局シュメール人達ヘブライ人達がメソポタミアで巨大遺跡を残している時点で巨大な建築物や巨大古墳自体がシュメール人達ヘブライ人の特徴
紛れもなくシュメール人達弥生人の大和王権達の痕跡
結局沖縄からの物部氏の同じヘブライ人達だが結局山岳信仰で剣山自体に意味があり
イスラエル王国でのゲリジム山信仰自体がそのままで出るわけだから
結局沖縄からの邪馬台国の民の物部氏のユタ族自体住居の痕跡を全く残してないユタ族達
結局痕跡を一切残さない習慣がある以上痕跡の遺跡や土器や鏡などの遺物がある時点で邪馬台国でないことが明らか
結局痕跡のある九州や近畿は全く違うわけだからこそ邪馬台国説で九州や近畿を立てること自体がナンセンス
周囲の国の数や島の大きさや位置や距離や目的地までの時間や日数も全て九州や近畿ではないのは明らか
全く根拠すらないのが明白
結局九州説や近畿説を立てて朝鮮エベンキと繋がりがあるかのように誤魔化す為に誤魔化す物的証拠を探してるだけ
日本民族の歴史を勝手に在日都合にするにもほどがある 思えばこいつと日教組のせいで考古学がイヤンなったんだ
皇国史観の何が悪いんだ馬鹿たれ 古代史って推測の部分がでかすぎて学問としてどうなんだろう
ロマンがあるのはわかるけどさ この人の存在は神話研究でも結構でかかったな
まあ触発されて動いたって感じだけども
60歳近くで頑張ってたんだからすごいわ 中国が書き記した歴史書に則って邪馬台国を探すとかの発想がどんだけ外国好きなんだよ >>62
「何が悪いんだ」じゃねーよ。皇国史観なんて悪いところしかねーよバーカ。 さすがに訃報のスレでは伸びないだろ
別のネタ拾ってきて建て直した方がいい >>67
皇国史観を否定して日本史研究はできない
何故なら国家としての日本に朝廷と無関係な政権は存在しないから >>69
単に日本史において皇室が存在してきたという事実を肯定するというだけでは皇国史観じゃないぞ。
天皇が神の子孫であり自身も神でありその血統は永遠に存続して日本に君臨し続ける、という信仰こそが皇国史観の核心。
当然ながらそこに事実に基づく合理的根拠など一切存在しない。そんなものは学問ではない。
皇国史観が歴史学を名乗ることには徹頭徹尾害悪しかない。 昭和天皇でさえ否定してるからな
「伝承や宮中行事から、神の子孫だの万世一系だのは昔から誰も信じとらんよw」
て話して、気を遣って話してた古代史学者をからかった話は好きだ 昭和天皇ええな、流石は英国紳士だ
ちなみに終戦直前に陸軍右翼に拉致されかけた(宮城クーデター)など
そもそも極右思想とは正反対のヒトだった 考古学って人生かけて積み重ねたモノが科学の発展でごっそり覆されるから大変だよな 考古学って正直、サンプル数少なすぎて、科学的にはなんの証拠にもならないよな
考古学で邪馬台国の位置を確定するなんて絶対無理
「たまたまだろ?」「他にもあるけど見つかってないだけじゃない?」この言葉ですべて論破可能
金印が出てくりゃ別だけどさ >>76
>「たまたまだろ?」「他にもあるけど見つかってないだけじゃない?」この言葉ですべて論破可能
「3世紀前半の北部九州のあちこちで畿内系土器が出土する」
論破してごらんw >>11
X邪馬台国
○邪馬臺國
漢字を知らないバカ???www
邪馬「台」国と印刷した明代以前の支那文献が有るなら画像urlを貼れクソバカ???www
「漢」音は漢代に漢字音だと勘違いしてるバカ???www
「唐」音が唐代の漢字音だと勘違いしてるのかバカ???www
//tokyo-ondai-lib.jp/collection/minshingaku/sheetmusic/01
「魏氏樂譜-魏子明編輯-平信好考訂」をggrks。
>あらかじめ印刷されているのは歌辞(漢字)と唐音(カタカナ)のみで、
>音符(工尺譜)は師匠の指南を受けて学習者が手書きで
>その右欄に記入するようになっています。
「行、明」のように「行」に対して「コウ(カウ)」と「アン」、
「明」に対して「ベイ/メイ」と「ミン」という風に
音読みの中に「ん」を含むものと含まないものとの2通りがある。
「ん」を含まないのは漢〜隋唐時代に日本に伝わった音読みで上古音、魏晋音、六朝音、呉音、漢音と呼ぶ。
「ん」を含むものは宋元明清時代に伝わった音読みで宋音、唐音、近世唐音と呼ぶ。
日本の一般庶民に「ん」の発音が普及したのは日宋貿易が始まって100年以上経った鎌倉時代だろ。
漢音の詳細はウィキペディアの「漢音」「三十六字母」でも読んどけバカチ?ンwww
「臺」は中国語の一種の広東語で「トーィ」と発音する。
//imgur.com/a/9l0jsjz
「粤」は広東省のことだ。[jyut]と発音記号で書いてユッと発音する。
馬鹿チ?ンのようにジュッと発音するんじゃないぞwww
広東語はコーヒーとコピーを区別しない馬鹿チョン語www
と違って母音の長短で意味を区別する。
ラテン語も母音の長短を区別する。
唐の時代の漢字音は「安史の乱」を境にして大きく変化し、モンゴル時代に北方音は更に大きく変化した。
口語(話し言葉)ではいわゆる「四声」が濁音始まりの(全濁)漢字は低い音程で始まり
清音始まりなら高い音程で始まって「四声八調」となった。
中唐時代には全濁が清音に変化した。
すなわち魏晋時代の「臺」は清音始まりトーィではなく
濁音始まりの濁音ドーィだ。
邪馬臺國はヤマドコクだ。 >>76
九州で邪馬台国の候補になりえる遺跡が見つかってないことや
邪馬台国に繋がる遺物も見つかってないことの言い訳として、将来見つかるかもしれないとでも言いたいのか?
悪魔の証明みたいなもんで、100%の否定はできないわな
だが、九州に邪馬台国がなかったことを示唆する物証がいろいろ見つかってる事実は
どうやっても否定できないんだよ ざっくり眺めると卑弥呼天照大神説が信憑性あって、日食の件を踏まえるとやっぱ九州かな 卑弥呼=天照大神説って小学生向けに作ったお話だろ? 出雲大社や北部九州の宇佐神宮、あるいは東国の諏訪大社や香取神宮や鹿島神宮など、
まず間違いなく有史以前から霊場・信仰の場として存続してきた神社は日本国内にいくつかあるけど、
不思議とヤマト政権の本拠地である奈良盆地にはこれらに匹敵する古く有力な神社が見当たらない。
橿原神宮なんてのは明治に作られたパチモンだし、春日大社も有史以後の奈良時代の創建。
三輪山を奉ずる大神神社や七支刀で有名な石上神社くらい? でも上記の超メジャー神社たちには見劣りする。
これ、何か理由があるのかしらね。 >>82
>出雲大社や北部九州の宇佐神宮、あるいは東国の諏訪大社や香取神宮や鹿島神宮など、
>まず間違いなく有史以前から
有史以前の根拠はもちろん自分の妄想だよな? >>84
>有史以前の根拠
信頼できる史料を可能な限り古い時代までさかのぼっても「既に存在している」という記述しかないので、
文献史学的に「有史以前から存在している」という結論になるし、
考古学的にもその場所に有史以前から連続して何らかの施設が存在していた確かな痕跡がある。 >>50
邪馬臺國九州説は破綻しているwwwww
https://ctext.org/sanguozhi/3/zh
三國志 -> 魏書三 明帝紀:
丙寅,司馬宣王圍公孫淵於「襄平」,大破之,傳淵首于京都,
……帝曰:「四千里征伐,雖云用奇,亦當任力,不當稍計役費。」
司馬宣王=司馬懿=司馬仲達が公孫淵を襄平で大いに破った。
明帝=魏の第2代皇帝曹叡。
明帝曰く「四千里征伐・・・
魏の都洛陽から公孫淵が居た襄平(現在の支那遼寧省鞍山市、海城市あたり)まで四千里=約1420km
この尺度で帯方郡から邪馬台国までの総距離1万2000余里だとすると
1420kmを3倍すれば1万2000余里=4260kmとなる。
帯方郡のおよその位置を現在のソウル市(京城、漢城)とすれば北緯37.5度。
地球の経線は10度で約1100kmだからソウル市のまっすぐ南4200kmだと
赤道を越えてパプア・ニューギニア島の西南西のバンダ海辺りに邪馬臺國があったことになるぞwwwwwwwwwwww >>86
とハッタリかましてみたわけだ
もちろん嘘っぱち
虚勢を張るための修飾語だらけの文なのに、具体的なことが一つも書かれてない >>86
そりゃこんなところで一般論以上の具体的な情報をわざわざ開陳してやる義理なんかないからねw
むしろ逆に、あんたは>>82で挙げられた「有史以前から存続してきた神社」について、
それらが確実に有史以後の創建であることを示す根拠を提示できる? >>89
捨てゼリフと逆質問
論破された負け犬の典型的な行動パターン
笑ったわ 河内王朝論もあったし三輪王朝とかいろいろ王朝交代論がさかんになったけど
考古学の進展で今ではそんなもんなかったっていうのが通説になった >>90
他人の意見に「具体的根拠がない」と噛みつきつつ
自分の意見を言う際にも一切具体的根拠を提示していない(>81)あんたよりはマシだと自負してるよw >>82
> 有史以前
こんな無根拠な言葉をエサに、適当な根拠らしき想像で釣るとかド素人かよw >>91
たしかに「王朝」という言い方は適当ではない、という話はあるな。
てなわけで、「政権」とか「王権」なら良さげ。
その上で河内王朝(河内政権)だが、たとえば奈良平野には地名由来の
臣(おみ)姓(たとえば蘇我、葛城、平郡、春日など)が多く、河内には
職掌由来の連(むらじ)姓(たとえば物部、大伴、中臣、土師、弓削など)が多いのだ。
この河内の連姓の氏族たちの多くは、ニニギの降臨から神武東征あたりの
神話に登場してるよね。 現在の日本古代史学界では「王朝交代は無かった」という認識が主流だというのは、
万世一系の皇国史観が復活したという意味では全くなく、むしろその逆で、
そもそも「交代」したりできるような確固たる血統によって継承される王朝というものが
継体・欽明朝の成立より前には存在しなかった、という意味だからな。 >>96
縄文海進って6000年前とかでしょ
ほんとに数千年前から続いてるとにわかに信じることはできないな
海岸線の変化もあったし、狩猟採集の生活スタイルから稲作中心の生活スタイルへの転換もあったし
その分布図も、レイラインと同じようなもので、都合よく選んでマッピングしたんではないかのかね?
話半分というか、話10分の1で見ておいた方がよさそう
そもそも、神社の格付けって、ずっと後の時代に、大和朝廷の政治的な理由により決められたようなもんでしょ
有力豪族との関係が大きな要因だろう >>95
ほんとそれ
しかもその二人もほんとに血の繋がりがあるのかなんとも言えないし
もっと言うと謎が多すぎる >>13
>「ぴみは」 ないし 「ぴみか」
バカチョンには判らないだろうけど
昔の日本語にはha hi hu he hoという発音は無かった。
「ぴみか」という読み方は春秋戦国時代の漢字の発音だから
時代錯誤的訓み方
ha hi he hoという発音は江戸時代に現れた発音。
幕末に横濱を拠点に布教していたヘボンが考案した
ヘボン式ローマ字はha hi fu he hoと綴り「ふ」が
安土桃山時代から変化しなかった事を物語っている。
バカチョンは時代考証が出来ないというのは定説www >>94
物部は神武より先に河内、大和に「天の磐船」で
渡来した饒速日ニギパヤピ率いる渡来人集団の家系のひとつ。
九州の古墳に磐船を描いた壁画が有るが
保存状態が悪くて高松塚の壁画同様消えかかっている。 >>53
>原資料の表記は、邪馬「台」国じゃなくて 邪馬「壹」国
卑弥呼の時代の日本語には「壹=it」のような閉音節で終わる発音は無かった。
現存する魏志倭人伝最古のものは宋代の版本。
宋代に魏志を出版する時に「臺」と「壹」を見間違えて印刷原板彫刻、印刷。
壱岐の古代表記「一支」を「一大」と見間違えて印刷原板彫刻、印刷。
これは隷書体の「支」が「丈」とよく似ていて「丈」其の上「丈」を「大」と見誤ったのが原因。 >>95 >>98
推古朝成立のものか?とまで類推された上宮記が
早くて、天武〜持統期に成立した官製史本とほぼ明らかになったからね
まああれで本当に重要な点は、早ければ7世紀末において
厩屋戸皇子の神格化が始まってたということなんだけどね >>103
なんの議論かは知らんが、王朝の始まりに関してはほぼ決着は付いてるよ こんなものなんぼやっても結論は決まっている。
どこにあったかなどわからん
これが結論 明治マセソン商会維新150年と孝明天皇睦仁親王○○と田布施システム >>103
九州派の池沼頑固派が際限もなく食い下がるので処置なしwww >>106
学術的にはもう結論が出ている
それを認めない九州爺さんが文句垂れてるだけ
理由は様々だが、イデオロギーかぶれのお爺さん、頑固なだけのお爺さんもいるが
全員に共通するのは知識が乏しい 説が古いと思う時はあったけれども、古代史を学ぶには避けて通れない先生だった
ご冥福をお祈りいたします >>103
九州説信者ってのはつまり陰謀論者なんだ
月面着陸なんかと同じで正論をぶつけても信じないし理解できないが
徳間書店あたりから出てる胡散臭い本の内容はすぐに信じる
学者はほとんど機内説だよと教えても陰謀だ圧力だ俺は真実を知っている
こんなんだから決着はほぼついてるんだがそれを認めない奴がいなくなる事は無い これで苦しい畿内説がやっと終わったわけだ。
皆さんお疲れ様でした >>106
むしろ結論でないシステムになってるのが今の邪馬台国論議
何故なら、邪馬台国は連合国家だろ、今の日本に例えると47都道府県連合国家あり、どこに日本あったと説いてるに等しい論議なんよ 真剣に答えだそうと思えば本当はすぐに分かることなんでしょ?
天皇陛下もウヤムヤにしろなんて考えてもないと思うし
歴史は歴史。真実は真実なんだから
宮内庁はいい加減、日本国の成り立ちの解明を邪魔すんなよなとは思う。
確かに浪漫はあるよ。邪馬台国は一体どこに存在したのか!?
白黒つけず皆で夢想を語るのはおもしろことさ
でも平成も終わるし、もうハッキリしても良い頃だとは思う。
邪馬台国は畿内にあった!国民にその真実に発表しなよ 吉野ヶ里移籍は小さい建物跡ばかりのただの集落の跡。
しかし巻向移籍は政庁跡としか考えられない巨大建物群ばかり。 >>115
邪馬台国は畿内にあったというより
邪馬台国=大和王権 だろ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています