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どのような卑小な存在でも死を意識することで、知恵も生まれるし、実際に頭も良くなる

宗教を蔑むのは誰でも通るみちだ
宗教は守るべき道徳ではなく、死を前にして、自らの人生の価値を測定する行為と考えられるなら年齢、学歴、職歴、貧富といった
属性はまったく意味をなさない

親に反発する10代か、欲が生まれる20代か、社会を知り現実を知る30代以降かは人にもよるが
死を意識することが転換点となり、いかに卑小な存在であっても社会や人類が進むべき道がみえるものだ

死を意識し限られた命であることを日々実感するのであれば、それを克服させるものは
本人が何よりも大切とするもである。それが趣味であるならば趣味であるし、
自らの命以上と考えられる職務なのでその職をまっとうすることでもある
もしくは人類や隣人のために、自らより大きい存在のために戦うこともできる

宗教は死を単なる個人のものとせず、自らよりも大きいもののために、残された時間を有効に生きることに使う

日本的儒教は思想として制度不良を起こしており、もはや隆盛をほこった中国の王朝が倒れるような、自らが守ろうとした
社会を破壊する方向に向いつつある

仮に儒教的な価値観を保存するようなことがあれば、本質的に民主主義とはかけ離れた支配思想である儒教はかならず
腐敗、貧困、停滞を生み出し、独裁国家を生まれさせる原因となりうる

このため、最低でも儒教思想の壊滅、すなわち焚書坑儒は行わければ、未来の世界に日本という国家の居場所はないだろう