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SF作家Arthur C. Clarke の「幼年期の終わり」はマルキオニズム的な二元論を解体して、キリスト教やグノーシス主義をごちゃまぜにして作った小説だが、
グノーシス主義の根幹であるイデア―と対立する物理現象になってしまうので、グノーシス主義・二元論とは相容れない
これは二元論のままでは科学フィクションとしては成立せず、キリスト教的な世界観がSFに適していることを間接的に証明している

グノーシス主義・マルキオン主義において物質世界や物理法則を悪と見て、イデアーと物質が対立する世界観であり、両者が一致する宇宙物理観を持てず反自然科学的と言える

ビッグバンや進化論に生まれた世界が悪ならば、そこから生まれた人間も悪に過ぎないし宇宙におきた光であるビッグバンを悪とする道徳観なわけだ

キリスト教的な世界観において、無限の時と空間において、宇宙が存在すること自体が物理現象的な奇跡なのであり、人間が持つ技術や科学的知識を神が保有しているのも当たり前となる

https://ja.wikipedia.org/wiki/グノーシス主義
グノーシスの神話では、原初の世界は、至高神の創造した充溢(プレーローマ(英語版))[8]の世界である。しかし至高神の神性
(アイオーン)のひとつであるソフィア(知恵)は、その持てる力を発揮しようとして、ヤルダバオート[9]あるいはデミウルゴス[10]
と呼ばれる狂った神を作った。ヤルダバオトは自らの出自を忘却しており、自らのほかに神はないという認識を有している。グノーシス
の神話では、このヤルダバオトの作り出した世界こそが、我々の生きているこの世界である、と捉えられる。

グノーシス主義の思想である「この世が悪で満ちているので宇宙は悪、それを創った神も悪」が成り立つとすると、世界が悪である事に変わりはないのであれば多神教の神は悪ということになる
悪の物理世界において人間だけが別格の神性を保持する高度な存在というグノーシス主義・霊知主義は反自然科学的となるよう運命づけられている

グノーシス主義の「この世が悪で満ちているので宇宙は悪、それを創った神も悪」との問いかけは神道や多神教全体にも適合する問いである