>>428

キリスト教の神、その他の神(天照大神、梵天)は教義的違いにも関わらず全て人格(神であるため人と同じではないので人格という時には注意が必要)を持つ

人格の定義とは知的生命体の特徴を持つだけのことで、最も重要なのは神が意思を持つ存在であることだ
高度に自立学習を行って人間の知性を超えるようなAIでも、意思や自我を持つべきとする意見が多くある以上は、意思とは生命体に限定されない
神が知的生命体である人間と特徴を共有するのは論理的だと言える

逆に人格を持たない神を主張しているのは唯物論史観の連中であるため議論する価値はない
単に意思のない物を崇拝しているだけなので、奇形唯物論の信者であると言える
この連中は唯物論者に特有な自己崇拝・人間崇拝(独裁者崇拝、上位者崇拝)をする傾向がある

神が邪悪な性質を持つのは理屈に合わないとの論も偏向している
高度な知的生命体や機械が無限に生まれ互いに絶滅的戦争を繰り広げるであろう宇宙において、無限の過去の時間軸を生き残れる存在には善と悪の両面があるほうが自然だ

高度に発達した知性がエゴ・自我を持ち、敵を滅ぼすのは自然の流れだ
宇宙を作れるほどの力をもっていても、それに対抗できる知的存在が新たに生まれたら、弱腰、平和主義では滅びるだけだろう