>>484

地動説を唱えたのはカトリック司祭であるコペルニクスだ
グレゴリウス13世によるグレゴリオ暦の採用によって地動説自体はすでに広く受け入れられていたと考えることができる

https://ja.wikipedia.org/wiki/グレゴリオ暦
改暦委員会と改暦案の提案
ユリウス暦による春分日のずれを、ローマ・カトリック教会としても無視できなくなり[7]、第5ラテラン公会議(1512-1517)に
おいて改暦が検討された。このときフォッソンブローネ司教のミデルブルフのパウル(en:Paul of Middelburg)(1446-1534)は、
コペルニクスを含めてヨーロッパ中の学者に意見を求めた。しかし、コペルニクスは「太陽年の長さの精度は不十分であり、改暦
は時期尚早である」と返答した[8][9]。コペルニクスは彼の主著「天球の回転について」の序文でこのことを明記している[10]。

各国・各地域における導入
ユリウス暦と太陽年(実際の季節)とのずれは、13世紀の哲学者ロジャー・ベーコンが指摘してから300年もの間顧みられず、
16世紀になって宗教上の問題が顕著になるまで放置された。このずれを修正し新たにグレゴリオ暦を制定した後も、それが
ローマ教皇による発令だったので、その導入時期は国・地域によってまちまちであった。カトリックの国は比較的早く導入したが、
一方でそうでない国では宗派上の対立もあって、導入までに少なくとも100年以上かかった。正教会の大半は現在も改暦せず
ユリウス暦を使用し続けている。非キリスト教国においては、1873年の日本(後述)を皮切りに、徐々にグレゴリオ暦を導入
する国家が増加していった。

ZEIKIN@ccakahada
2017年8月28日
林羅山のwikipedia、修道士の「地球球体説と地動説を論破」して結果的に棄教まで追い
込むわ、方広寺鐘銘事件の例のいちゃもんで豊臣家滅ぼすわ、上下定文の理で身分制度を
絶対化するわで、めっちゃ強かったです。

仏教的宇宙観の普及活動 2.須弥山 儀 の概要 - 東芝未来科学館
toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/download/pdf/leaflet_14.pdf
1.仏教的宇宙観の普及活動. 仏教では、古代インドの宇宙観を受け継ぎ、世界は須弥山を中心に立体に. 広がっていると解いて、
西洋の地動説に対して天動説を説いた。地動説が広. まることにより仏教の権威が失われることを恐れた天台宗の僧円通