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現代において中庸を重要視する連中は例外なく無能であり早期に排除しないと国を没落させるだろう。中庸は朱熹が大量の時間をかけても理解できなかったと
嘆くほどの抽象思想(朱熹はたまたま理解できたと回想)であるが、代表的な解釈は中庸章句となる

中庸章句の中庸解釈は対を必要とするため、二元論的な問題からも考察できるが、禅問答的な抽象論にすぎず議論に値しない。最大の問題は徳に至るための
具体的な事例研究がないことであり、抽象論と精神主義の害を助長する

「其見於経、則允執厥中者、堯之所以授舜也。人心惟危、道心惟微、惟精惟一、允執厥中者、舜之所以授禹也。堯之一言、至矣尽矣。
而舜復益之以三言者、則所以明夫堯之一言、必如是而後可庶幾也」

人心(欲)、道心(義)の区別をして、真の中の道をとれと朱熹は主張するが、君子の地位・権力を保身・保守するためという大前提において
保身という欲を排除することなど不可能だろう。中庸とは自己保身、上下関係、先祖と子孫、同郷などの縁故を守るための徳を重視する前提の下に
保身主義のため中の道を極めよという醜悪な思想だ。社会が大きく変動する時代に変革を抑圧せよといっているのと同義であり
この思想は上下秩序や組織内の和を保ち反乱を未然に防ぎ、短期的な破滅を遅らせるのには適しているが、欲を許されない非人間的な扱いを
うけるものがいないと成り立たず、常に一番立場が弱く待遇が低いものに一番ツライ仕事が回ることを意味する
だが差別主義を全肯定した社会において、身分が固定される前提ならば下が腐るのは必然であり、一時的に強国であっても国勢は世代を重ねることに衰えるだろう

「子程子曰、不偏之謂中、不易之謂庸。中者天下之正道、庸者天下之定理。此篇乃孔門伝授心法。子思恐其久而差也、故筆之於書、以授孟子。
其書始言一理、中散為萬事、末復合為一理。放之則弥六合、巻之則退蔵於密。其味無窮。皆実学也。善読者、玩索而有得為、則終身用之、有不能尽者矣。」

中庸の本質とは偏らず、常に変わらぬもの(古き因習を変えてはならない)とする。そして2つは相互に必要としあい並立するというのが中庸の根幹理論だ
しかし常に変わらず偏らぬなどという抽象的で具体性のないものは、いくらでも恣意的に悪用ができる

また常に変わらぬ平常の境地は、社会が変化したら全く通用せず、社会全体が自殺志願をするような陳腐な思想だ
自らを徳のある君主、臣下、臣民と錯覚して、(先祖から継承した)古くからのやり方を固くなに変えようとしないなら自国より優れた文明や技術・社会体制をもつ国家や部族が侵略してきたならイチコロで滅ぼされるだろう