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ヒンドゥー教のカーストは日本には以下のように当てはめることができるが
カーストの種類は3,000に分割でき、さらに細かく25,000に分類することも可能らしい。前述の通りクシャトリヤや宗教指導者が認めれば職分のアップグレードの事例もある

ブラフミン:祖霊信仰を核とした皇族・公家(神別氏族)、宗教指導者(聖人の子孫達、例:親鸞の子孫)、清和源氏・桓武平氏等の日本型宗族の門閥・閨閥
クシャトリヤ:武士
ヴァイシャ:裕福な地主・商人・金貸し(後世に農業はシュードラに譲り商業)
シュードラ:百姓、町民、一般人・平民
不可触民:エタ・非人、奴婢等

ヴァイシャは当初は農業も含んだが後に農業階級を指さなくなるため、シュードラは士農工商の町人・百姓の両方を兼ねるが、後に富裕層に変わったヴァイシャが君臨する

つまりカーストや士農工商は宗教から来る慣習法的な社会制度であり、現代人の考える成文法的身分制度ではなく宗教をルーツにする。儒教・神道(神儒一致思想)の祖霊信仰から来る士農工商とインドのヒンドゥー教原理主義カーストの共通点は、
権力者が立法によって勝手に決めたものでなく、聖典(ヒンドゥーや朱熹・孔子)の聖性を支配者が利用して権力維持や社会安定の礎としたことにある(階層の自由な移動を禁じた身分統制令を発した豊臣秀吉政権も藤原惺窩を重用している)

Hindu religious texts assigned Vaishyas to traditional roles in agriculture and cattle-rearing, but over time they came to be
landowners, traders and money-lenders.[1]

重要な税収源である農耕民が逃げないよう明文または慣習的に規制をはるのは、世界中どこもでも見られるが、アブラハム系宗教の改革から取り残されたインド、東アジア(日中朝)を除いてそうした慣習は形を変えながら廃されず温存された

戦国時代の経験から江戸時代や秀吉(身分統制令)の時代には一定の合理性が見られたが、現代では儒教・神道(神儒一致思想)の祖霊信仰から来る士農工商のベース
となる儒教・朱子学の知識が劣化・形骸化・因習化したこと、江戸時代にかけておきた神儒一致思想は皇室、公家、武家に限定して流行したことで、
庶民側からすれば百姓への締め付け制度ぐらいの効果に限られ、士農工商でなく、士農制度と呼ぶべき状態だったと考えることができる

https://kotobank.jp/word/走百姓-114322
江戸時代,貢租の重圧,役人の不正に反抗し,凶作時の租税の減免を求めて,移住の禁を犯し,居村から逃亡して他領に逃げる農民。逃散 (ちょうさん) が計画的な集団的行動であるのに
対し,個別的なものである。走百姓の持高については,領主に対し村が惣作の形で責任を負い,領主は彼らの還住 (げんじゅう) を促す政策をとった。