図書館でコピーとると著作権がどうのとごにょごにょ言ってくる。アホか。
新本貸しといて著作権気にしてんじゃねえよつうか著作権侵害してるのは俺じゃなくてお前。ダウンロードじゃなくてアップロードだから。
電子書籍の普及によって図書館の存在意義が問われている。今までもコピーするのは可能であった
ただ唯一の障害はコピーが面倒という点でありその一点のみが図書館は著作権を侵害しないという正当性の拠り所であった。
だってコピーとる輩には指導(笑)してますし(笑)とは図書館司書の弁
納税者が仕事から帰るころには閉館し、ろくに納税していない臭い連中が闊歩する。市民の文化を育んできた図書館。
電子化により図書館の24時間稼働は達成され、達成された瞬間に図書館は消滅する。
逆に言えば、図書館が消滅することは許されないよって電子図書館は決して誕生しないのだ。
そうであれば、もはや、近所の斉藤さんが、いや私がそしてあなたが私設図書館をつくるしかない。
電子ブックをアマゾンで買いまくる。国会図書館のトイレで書物をスキャンしまくる。
そうして集めたデータを私設図書館におくのだ。そう24時間稼働サーバーである。

しかし電子情報化すると執筆する人がいなくなるというのは幻想である。
かさかさするのは紙屋と運び屋と本屋と図書館だけであり新聞社や出版社、執筆者はむしろ潤うのだ。
また電子情報化すると著作物にお金を払う人がいなくなるというのも誤りである。
価値は読みたいと思う人のこころがつくるものであり、その価値のために対価(対価値)が払われる構造はなくなりはしない。
かつてwin-MXなる現象があらわれた。電子情報の物々交換。そこでは電子情報が完全に無料になったのか?
こたえは否である。自分がもつ情報と他人がもつ情報、あるいは他人の他人がもつ情報を手に入れ自分の持つ情報を拡大しようともがき苦しむー市場ー。
everything is worth what the purchaser will pay for it

そこでおきたことは、あたりまえだが、そしてあたりまえゆえに刮目すべき状況であるのだが
自由市場があらわれたのだ。完全自由市場。アダムスミスがトマスペインが語りこそすれついにみることはなかった完全自由市場。
そこではあらゆるものにはあらゆる価値がつき買い手と売り手があらわれ完全自由通貨があらわれ完全自由価格があらわれた。
この市場を統制するものーそれこそが神の見えざる手ーであったのだ。

はからずも21世紀に辺境ともいえる(統制経済とも揶揄される)日本で、アメリカでさえ達成し得なかった、完全自由市場がうまれたことは偶然ではない。
匿名でむきだしの欲望と欲望とが織りなすもの。

火薬が武器を変えたように活版印刷が人類の知識を変えた。
原爆が戦争を変えたようにLSDが人類の意識を変えた。

電子書籍の今に期待しよう。