したがって、自己の尊厳の拠り所として、結局は神という仮想人格を求めたりもするわけだ。
完全なる信仰においては、それは神という「仮想人格」とされず、「神の実在」とされる。
そのように「自己」というものは、その根拠も含めて、極めてあやふやであり、
それであるがゆえに、絶対的存在とされる「神」というものを求めやすいようになっているのだ。
繰り返し述べておくが、そのように神を本気で信仰したとしても、
本当にその「神」が絶対存在であるとか、絶対正義であるとかの保証はないのだけどね。
「自己」とは極めて弱いあやふやな存在であるようで、それゆえに「神」は成立しているとも言えるだろう。