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自らの努力と向上心によって得た専門性からくる確固たる自信と、
陰謀論や国家序列によって帰属と自意識の区別ができず無駄にプライドだけが肥大する症状からくる自信の
いずれが現実で仮想かは説明するまでもないだろう

安っぽいプライドや上下序列にこだわって冷静な自己分析と改革もできず没落している弱小国の
分際で自らの実力をわきまえず、正統性を主張してしまう精神主義は中華発祥だが
日本にも根付いているのがわかる

日本人は昔から道徳的勝利を目指す、時には戦ってさえもいないのに一方的に勝利宣言をする

こうした被害者の序列が上位で、それが1000年たっても変わらない儒教病理に毒されると冷静な自己分析を不可能とする

https://ja.wikipedia.org/wiki/中華思想

江戸期日本の中華思想

明が異民族王朝の清に支配されると、日本の朱子学者の一部、林羅山などは、日本の
天皇家は中華正統王朝である周王朝の分家である呉の太伯の子孫であるから、日本こ
そは中華であると主張し始めた。更に、明の遺臣の一部は清に仕えることを潔しとせ
ず抵抗もしくは亡命し、そのうちの一人である朱舜水は、夷狄によって治められてい
る現在の中国はもはや中国でなく、亡命先の日本こそが中華であると述べた。日本の
江戸時代の儒学者山鹿素行も著書『中朝事実』の中で同様の主張をした。また、国学
者本居宣長も日本外交史を扱った歴史書『馭戒慨言』おいて、世界の国々は日神の子
孫である天皇に朝貢してその暦を奉じるのが正しい姿であり中国皇帝は「戎王」に過
ぎないとして、中国中心の華夷秩序を反転させて日本中心の華夷秩序をあるべき姿と
して描いている[12]。これが後に水戸学や平田派国学へも思想的影響を与え、幕末の
尊王攘夷論に結びつくこととなる。

太平洋戦争中に天皇を現人神として崇め奉り、軍 部が敗色濃厚になるや神州(中華正統王朝)不滅を唱えるに至ったのも、朱子学に基
づく中華思想に影響されたものであるという[13]。