【通説では江戸時代に鉄砲産業衰退】幕末の鍛冶屋敷記録を発見、堺 鉄砲生産、年商「3億円」
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江戸時代に鉄砲生産地だった堺市で、大名との取引の帳簿など約2万点が鉄砲鍛冶屋敷「井上関右衛門家」(堺市堺区)から見つかり、市が18日までに、関西大との共同調査の結果をまとめた。
大きな戦乱がなく国内の鉄砲産業が衰退したとされていた江戸後期に生産が増加。欧米各国に開国し幕府が不安定になった幕末の慶応2(1866)年に井上家は469丁を売り、年商は3029両(3億円相当)に達していた。
関西大の藪田貫名誉教授(日本近世史)は「当時の鉄砲ビジネスの内容が詳細に分かる初めての史料で、『平和な江戸時代に鉄砲産業は衰退した』とする通説を覆す結果だ」と話している。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/16334621/
設計図
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/1/a/1a6ac_1675_cab8a644f99400687a68d833033edc45.jpg
注文表
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/c/9/c9771_1675_1b5959888102f42cdc60e48443ddbdee.jpg 幕末は鉄砲は言うに及ばず古物屋に置いてあったガラクタ武具も売れてるだろ まあ、入り鉄砲出女といわれてたので、あったのは、確認されてる 鉄砲1丁が60両(約600万円)とは
ずいぶん高いんだな。 画期的な発掘やね。そもそも藩によっちゃ狩猟で
鉄砲使われてたんじゃないのか。 総額3億って随分少ないんだな。
やはり天下泰平だとこんなもんなんだろうね。 >>6
すまん、訂正
約500丁で3000両だから
1丁6両(60万円)でした。 1866年だから、幕末の動乱期。禁門の変から第1、第2長州戦争。やがて来る
戊辰戦争前だから、国産鉄砲でも売れまくった。 火縄銃って相当長持ちしそうなんだが壊れるまで何発ぐらい撃てるんだろ? 日本刀と同じくらいの価格だったんか
余り高くないんだな、というか日本刀高すぎね? まあ、普通に武装用
各藩に、10丁から20丁ぐらいは、持てたらしい
何丁持てるかは、その藩の石高からとか >>20
黒色火薬の燃焼で汚れるだろし、筒の内部も高圧になるから骨董品は危ないでそ
暴発の事故による死亡事故とか、現代でもあるし >>23
新品やブランド品が高いんでそ
一般の武士は中古品とか使っていそう
現代の自動車みたいなもんでそ 司馬遼太郎の小説で天誅組の変のとき大坂夏の陣のときつかった大砲
持ち出した云々みたいな話しがあったから、長持ちするものは長持ち
するのだろう。 そりゃあ、幕末は武器製造は大儲けしただろうよ
戦乱があったし、外国船撃ち払いもあったし >>23
曲げ伸ばし工程が変態だから…
多分西洋の同じ重さの剣(鋳造)だったら1/10ぐらいで出来そうw だって黒船以来武器は甲冑でも刀でも何でも売れて値上がりしたんだろ
それにしても古式蒼然とした和銃が慶応2年の時点で売れてたのは不思議だが >>1
長岡藩は火縄銃で薩長軍と戦っていたから、技術が廃れていたはずはないんだよね。 鉄砲の生産技術だけ残って、新兵器の開発技術が衰退してたんじゃなかろうかね
結局フランスやイギリスから新式銃や大砲買ってる状態だし 実際鉄砲が伝来して幕末までの300年間
国内で鉄砲の技術は先込め式のまま止まったままだった 国内重要で産業として成立しても進化の止まった先込めの火縄銃だろ?
技術の進化から取り残されたという意味では衰退でしかない。 戦国時代、九州の地方大名の大友氏が保有する鉄砲の数がヨーロッパ全土の鉄砲かき集めた数より多かったって話だからその当時に日本がヨーロッパ征服しておけばよかったよね >>6
おれのコンピューターで計算すると
60万円とちがうか???? >>33
逆に言えば経年劣化とかで壊れて買い替える量がそのまま売り上げ そりゃ各藩には幕府に割り当てられた軍役があるわけなので日本全土で常時ある程度の使用可能な鉄砲保有数を維持し続けるために平和な時期でもそこそこの発注量と製造数は存在し続けただろう ほとんど進化しなかったからな。武器としての商品じゃなかろ >>39
性能が違う。
ヨーロッパのマスケット銃は日本の火縄銃より威力があった。
その代わり、かなりの重量だったけどね。 >>35
幕末の時にアメリカの南北戦争では北軍、南軍共に先込めライフルが主流で元込めの銃は極一部の北軍騎兵隊位しか持って居ない。 つーか、慶応年間で国産銃に頼るとか、ポンコツの藩だな。 >>35
幕末のちょっと前くらいに後込式が生まれて、南北戦争あたりで大ヒットしてその武器が欧米から流れ込んだのが幕末 >>32
長岡藩は、ガトリング砲や多数の先込めライフル銃を持ってたよwww >>44
威力は変わらないのでは?
破壊力は口径と火薬量で決まるのだろうし 1866年っていったら、薩長戦争の翌年。幕末も幕末でしょ
500丁も作ってないとか、むしろ少なすぎるくらいでは?
資料が実際に出てきたのは結構なことだけどね >>51
スカスカの火縄銃と違って火薬の圧縮量が段違いだからな
爆発効率にして火縄銃が8%、マスケット銃が20%、現代小銃が45% >>52
この資料の肝はこの時代でも日本で
火縄銃の技術が失われてなかったって
事では無いのかな
通説では技術は失われて職人は
花火職人に転職したって事に
なってたから 武芸になってて砲術師範とかが金かけて発注しとるんやろ 一応平和な時代とは言っても家格に応じた備えはあるに決まってんだろ 平和な時代でもなぜ幕府は技術開発を続けなかったんだ? いい加減だなあ・・・
慶応2年って言ったら幕末も幕末じゃないか。
この頃の1両って万延小判換算だろ?
加えて開国や社会不安もあってインフレも凄いから、どう計算しても1両に10万円の価値はないぞ。 >平和な江戸時代に鉄砲産業は衰退した
いや江戸後期はまたきな臭い時代になってきたんだから、合ってないかw 銃は江戸時代でも狩猟で使われててたくさんあったから、欧米が日本に攻め込むことは
できなかったと何かで見たが。 >>59
新しいもの、変革は御法度。とにかく前代踏襲。それこそが幕府安泰の道っいう信仰に近い思い込みw >>59
財政難で軍事的には現状維持が限界だったようなw <<59名無しさん@1周年2019/04/18(木) 15:02:12.94ID:JxL8hbQj0>>62>>66>>68
<<平和な時代でもなぜ幕府は技術開発を続けなかったんだ
徳川が 新発明を 全部禁止した
社会を固定化させたから 社会が安定した
商人が富裕化するのを、 厳罰で 防ごうとしたのが
今も 財務官僚につながっていて
経済人が金儲けすると、牢屋に入れる
江戸時代そのもの 鎖国や参勤交代なんて愚かな政策を取ったのは三大将軍家光。
日本のためではなく、徳川政権を護るために国力の弱体化を図った真性のゴミ将軍。
祖父の家康は勿論、二代将軍秀忠も信長路線を踏襲して海外に開かれた政策を取っていた。
その路線が護られていたら、どんなに発展した日本になっていた事だろうか。 >>48
鉄砲町には鉄砲関係どころか当時の物は何も残ってない
当時の物は堀の中の旧市内にしかないわ >>20
徳川の時代は現代より規制がかなりきつくて
身分によりつかってもよい材料がきまってた
猟師が七十 十年未満 士分の鉄砲足軽用で二百 十五年以内が目安
でぶっ壊れるようにつくらないといけなかった
大名道具とかはまた別だけど届けがややこしい 博物館に行ったら普通に江戸時代に作られた火縄銃とかたくさん見られるぞ
博物館なあるようなのは大名自身が狩猟に使うようなやつだから全体が華美に装飾されてたりして凄いんだけど
一般人も普通に普通の火縄銃を猟銃として使ってたりするし
当たり前だが鉄砲足軽もいて訓練とかもするから一定数の需要はある
あとみんな指摘してるけど
幕末は武器需要は復活した時期
刀なんかでも幕末や幕末からちょっと遡る時期は世情がキナ臭くなり始めたこともあり需要が復活して結構な数の刀が作られてる
需要が本当に枯れて刀鍛冶の数が減りまくって技術の断絶が起こったとされてるのはそれよりさらにもう少し前の江戸時代後期あたりの時期 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています