神道の本質は、稲作の豊作を願い、そして感謝する、ということに尽きる。
米は食料でありお金でもあった。そして藁は履物になり布団になり雨具にもなった。
納豆は藁の中で納豆になる。稲作文化から生まれた、神や自然との交流の宗教なのだ。

そんな神道の本来には、兵器を陳列する趣味などない。腹切りなんていう趣味も無い。