0001樽悶 ★
2019/05/12(日) 16:50:38.77ID:AcrNpUrz9https://amd.c.yimg.jp/amd/20190511-00001713-shogyokai-000-1-view.jpg
精肉工場では、食肉処理の工程別に部屋を変えていて、さらに外気に触れないように衛生管理を施している
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190511-00001713-shogyokai-005-1-view.jpg
代表取締役の萬野和成氏。牛肉の飼育から販売までのあらゆる分野を学んできた牛肉のエキスパートだ
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190511-00001713-shogyokai-006-1-view.jpg
大阪の天王寺エリアなどに焼肉店をはじめとした飲食店9店舗の他、食肉卸等を展開している(株)萬野屋(本社/大阪市天王寺区、代表取締役/萬野和成)は、4月27日に「やきにく萬野本店」を移転リニューアルオープンした。
同店は「肉屋が唸る本物の肉屋。」を理念として、1999年6月にJR大阪環状線の桃谷駅と寺田町駅間のガード下にオープンし、黒毛和牛に対する卓越した選別眼と肉のさばき技術が注目されて近隣住民に愛されてきた他、遠方からもファンが訪ねてくる店である。
移転リニューアルは開店20周年を期したものであり、旧本店より300mほど南側の同じガード下に位置し、総工費2億円を投入して焼肉店の他に精肉工場と同社初の精肉店を併設した。さらに本社機能もここに集約して、全長100mという大きなプロジェクトとなった。
※省略
■精肉工場のアウトレットのような店舗構成
※省略
■情熱あふれる生産者と交流して「正しい焼肉店」を開業
ここで萬野屋の沿革と同社代表取締役の萬野和成氏の活動について紹介しよう。
萬野屋の原点は、昭和5年(1930年)に大阪府羽曳野市で萬野氏の祖父母が創業したもの。牧場経営、屠畜解体、枝肉を流通する事業で、来年で創業90周年となる。その後、萬野氏の父母に受け継がれ、小売店、業務用卸も事業として加わった。
萬野氏は1963年8月生まれ、大阪市出身。1984年に祖父母の会社に入社して主に生体牛屠畜および内臓処理業務を担当、85年枝肉を加工する精肉会社に入りさばき職人の修業を行い、86年に祖父母の会社に再入社して小売部門に配属され、各精肉売場を巡回した。以後、20年間に渡り、牧場管理、生体牛や枝肉の仕入れ、業務用(レストラン用)卸を行った。
この業務用卸は小売店の売上げが減少する中で大きく活路を見いだして、取引先を4年間で1000店舗まで拡大した。このように牛肉のエキスパートとして牛肉を扱うあらゆるものを経験してきた。
97年に萬野屋の前身となる個人会社を設立し、主に飲食店舗開発のサポートを行った。ここでは焼肉店のための技術研修制度や顧客管理ソフトの開発も行った。
このように牛肉のあらゆる分野にかかわってきた萬野氏は、和牛に魅せられて全国の生産者や牛と出会う。そこで飼育している牛にあふれんばかりの愛情を注いでいる生産者が存在することに感銘を受け、交流を重ねた。
しかしその当時、牛肉の業者に「牛肉偽装問題」が顕在化している状況に対して、生産者の牛に対する意識との温度差を強く感じるようになり、萬野氏自らが「消費者の信頼を裏切らない本物の肉を食べられる飲食店をつくろう」と、「正しい焼肉店」の店舗開発に踏み切った。
1号店(28坪64席)は、あえてJR大阪環状線のガード下というC級の立地に出店。これは立地条件ではなく商品力で繁盛店をつくろうと考えたからだ。競合する有力店がひしめく鶴橋の近くにありながら、「やきにく萬野」はオープン直後からたちまち繁盛店となり、月商1300万円に達した。
■生産者との交流と高度なこだわりで「萬野和牛」が誕生
さて、今日萬野屋が販売している精肉は「極雌 萬野和牛 Premium Queen’s Beef」(以下、萬野和牛)というブランドを持って流通している。これは前述の通り、萬野氏の熱心な生産者との交流から生み出されたものだ。
牛には一頭一頭個性があり、それを目利きできるのは丹念に愛情を込めて牛を見詰めている生産者であることを萬野氏は知った。一流の生産者は、じっくりと牛のピークを見極めて最高の状態に達したときに出荷している。
そこで萬野屋では、このような全国の優秀な生産者とコミュニケーションを密接に取って信頼をつくり上げ、選別したものを「萬野和牛」のブランドとして販売している。(続きはソース)
5/11(土) 5:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190511-00001713-shogyokai-bus_all