【戦争】「史上、最悪の作戦」「英国からの独立の引き金」 インパール作戦を多角的に語り継ぐ!インド独立への影響含め現地目線で
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「レッドヒル」の麓に完成した平和資料館
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■激戦の地に6月、平和資料館オープン
旧日本軍が75年前、インド北東部で展開し「史上、最悪の作戦」の代名詞ともなってきたインパール作戦。日本軍が目指したインド・マニプール州の州都インパール市を中心に、戦いの歴史を後世に伝える動きが広がり、日本財団の支援で「平和資料館」も完成、6月22日に開所式が行われることになった。
補給を軽視した戦いが「戦史上、例のない無謀な作戦」であった事実は今後も動かないが、インド独立などに微妙な影響を与えたのも事実。飢餓と病で非業の死を遂げた多くの兵士のためにも、インパール作戦とは何だったのか、新たな側面を含め、現地目線で多角的に後世に伝えられるよう望みたい。
インパール作戦は1944年3月、日本がビルマ(現ミャンマー)の防衛と中国・蒋介石政権に対する連合国軍の補給路「援蒋ルート」を断つ目的で開始した。英国からの独立を目指すインド国民軍(INA)約6千人も加わり日本軍は約9万人、対する連合国軍は英軍に豪軍、英国傘下のインド志願兵も含め約15万人。太平洋戦争で最も激しかった戦争の一つとされている。
資料によると、第31師団が北方からマニプール州の隣ナガランド州の州都コヒマ、第15師団と33師団が東方と南方から駐留英軍の拠点だったインパールを目指した。コヒマには到達したものの、食料や武器・弾薬の補給が確保できないままインパールを目前に7月3日、大本営が作戦中止を決定。航空機や火器など圧倒的な装備を誇る連合国軍の追撃の中、雨季を迎えた山岳地を退却し、最終的に3万人が戦死、4万人が戦病死したとされる。
資料館は、インパール市の南西約20キロの「レッドヒル」と呼ばれる小高い丘の麓に建設された。すぐ近くに1994年、旧厚生省(現厚生労働省)が建立したインド平和記念碑がある。44年5月末に子の丘で激しい攻防が行われ、双方合わせ約550人が戦死した。レッドヒルの名は、赤土が多い丘の地質に由来するが、地元関係者は「多数の兵士の血で丘が血で赤く染まり、この名が付いた」とも語る。
10年ほど前から地元の若者ら有志が塹壕の発掘など戦跡を調査、兵士の遺品や資料を集めて私設の資料館を開設し、5年前には駐印日本大使らも出席して70周年記念式典が開催された。こうした機運を受け地元の観光協会を中心に資料館建設計画が進み、日本財団が5000万円を支援、展示スペースや中央ホールなどを備えた8角形の平屋建て資料館が完成した。開所式には地元や日英の関係者、遺族会関係者も出席し記念植樹も行われる。
開館を前に4月上旬、現地を訪れると、「日本兵は食料も弾薬も不足する中、実に勇敢に戦った」、「規律正しく礼儀正しかった」、「強かった」など好意的な声が多く聞かれた。大半が戦いを目撃した高齢者からの言い伝えで、戦後75年を経て当時を知る住民が急速に減ってきたことから、資料館を建設し証言や資料を残すことになった。
戦いの舞台となったインド北東部は、ミャンマーや中国、バングラデシュと国境を接し、インド全体から見ると民族も歴史もやや異なる。マニプール州など計8州には400を超す少数民族を中心に約5千万人が住み、かつて、この地に栄えたマニプール王国はミャンマーにまたがる広大な地域を支配した。しかし英国がインドを植民地とした1880年以降、インドに統合され、1947年のインド独立後、一時的に自治権を回復したが2年後、インドに併合され、その後、独立や自治権の拡大を求める戦いが続いた。
インパール作戦は地元で「Japan War(日本の戦争)」と呼ばれる。インド全体と同様、「英国からの独立の引き金となった」と評価する声が強いものの、複雑な歴史もあって、全体とはやや異なる雰囲気も残しているようだ。直接の戦場となったことで戦いが残した傷跡も大きい。作戦開始1年前には住民8人が死亡する日本軍の爆撃もあった。
資料館計画を進めるマニプール観光協会のハオバム・ジョイレンバ事務局長にこうした点を質すと「戦争である以上、それは仕方がなかったし、戦争を境にこの地も大きく変わり始めた」とした上で、「当時を知る人の証言や資料を少しでも多く集めたい。今、それをしないと民族の歴史を後世に正しく伝える機会を失う」と語った。
戦後75年を経て、残された証言や資料は少なく、特に日本側の資料が不足しているという。戦いを目撃し日本兵と接した体験を持つ住民も急速に減っている。作戦に参加した日本兵、さらにその遺族関係者も既に老境にある。インパール作戦の全体像を後世に多角的に伝えるためにも、少しでも多くの資料が提供されるよう望みたい。
2019年05月21日 16:21
http://news.livedoor.com/article/detail/16493190/ >>1
【同和部落】
総務庁地域改善対策室。
『平成5年度同和地区実態把握等調査―地区概況調査報告書―』
(1995年刊。1993年調査)
兵庫県 341地区 206105人
京都府 142地区 61140人
和歌山 104地区 67554人
奈良県 82地区 58059人
滋賀県 64地区 40493人
大阪府 48地区 100092人
https://xn--dkrxs6lh1g.com/files/zenkokuburaku.html >>1
【日本人=韓国人と判明】
■東アジアの人間遺伝学の歴史
マックスプランク進化人類学研究所、ライプツィヒ、ドイツ
男系 Y-DNAハプロタイプ
https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0960982209020673-gr2.jpg
女系 mt-RNAハプロタイプ
https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0960982209020673-gr1.jpg
【ほとんど朝鮮渡来の弥生か】縄文人DNAは現代人のうちたった10% 初の全ゲノム解読
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557841263/
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557813285/
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557813285/
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557798335/
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557789186/
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557783811/
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557775102/
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557766608/
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557756728/
【プレスリリース】縄文人、漢民族より韓国人に遺伝的に近い 縄文人の全ゲノム解読に成功★3
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557882250/
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557836458/
s://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557827842/
大和魂があれば1ヶ月や2ヶ月草だけ食べてれば立派に戦える 今の日本が現代インパール作戦を実行中だよね?
少ない低賃金で仕事の量と責任にだけは増え続ける。
そして税と保険料もアップ。
2週間分の食料だけ持たされて半年間も戦って飢え全滅した旧日本軍と今のサラリーマンは全く一緒。 >>5
OKWの当初計画や目論見では国境部攻勢で大勢が決して
あとは消化試合のはずだったんだし
スモレンスクの戦いで粘られて座り込んじゃったのは仕方ない 独立に影響とか言うならヒトラーが欧州を荒らし回ったことのがでかいだろ 今考えるとアメリカはアメリカ国内で反戦運動煽るくらいで放置で良かったな 補給が整わない作戦は成功しない
素晴らしい反面教師 で、この無能指揮官共の子孫が今上級国民になってるんだろ? 一般人はいつの時代も何も考えず死ぬまで働けばいいんだよ 戦後イギリスの馬鹿将校が、戦略的には優秀な作戦なんて言っちゃうから、牟田口が舞い上がっちゃったんだよな。 イギリス軍もうっかりムタさんが死なないように攻撃してたんだろ? ■
ナパーム弾で
焼き殺されてる。オゾマシイ程の死体が そこらじゅう転がる。 腐敗した死体が 野生動物のエサになって それを見ている 兵士たち。
気が狂って 突然 喚き始めた!
もう 狂気の沙汰。 大東亜戦争に付随して仏印で200万人、インドネシアで200万人の
現地民が餓死その他で死んだ 十五年戦争で語り継いでいかないといけない歴史は
満州事変>>>盧溝橋事件>>>玉砕 特攻を前提の戦闘>>>沖縄戦>>>軍法会議>>>インパールとまで言い切れると思うけど
異論がある奴が
チョンコちゃんランド人だけだろうな。
日本の歴史をあまり知らないチョンコちゃんはインパールをよくやりだまにあげるけど
インパールが無謀な作戦だったのは言うまでもないけど そもそも太平洋各地で行われた
玉砕 特攻作戦をインパールでは行われてないのだからまだマシな作戦だったと言えるわな。 アメリカ軍のベトナム戦争も
相当酷かったと思うけど インパールがまともか
牟田口は名将か論じるまでも無い
マンシュタインやアクセル・アイロがインパール作戦を立案すると思うか?
ロンメルやアイゼンハワーが前線指揮するのに納得すると思うか?
物資の問題では無く将校としての能力の問題
日露戦争の大山、児玉、秋山ならもっと真剣にまとまな作戦を考えて実行してる アメリカが開戦から1年半で負けてたら、マッカーサーは牟田口並みの扱いだったろう。 戦争のたびに民族独立を約束して戦争が終わると約束を反故にしてきたイギリス
陸続きならとっくにイギリス全土が焦土になってると思う 無能とか生温い話じゃ無くて、
自国民をゴミのように扱った屑人間なんだよね。国賊と言ってもいい。 >>10
軍歌でも10日も食べずにいたとやらなのにどこまで超人なんだ日本兵は >>13
さらに遡ればカイザーが大英帝国にヒビを入れたのがそもそもとも言える 向こうに伝わらないと思って適当な事言ってるなこの記者 確かにインパール作戦は日本軍の大敗北で無謀な計画だったが、
インパール作戦のお蔭で太平洋戦争は
アジア解放の戦争だったという大義名分はできた インド目線は解放だろうがビルマはむちゃくちゃに略奪された >>25
ロンメルこそムッチーの同類だぞ
北アフリカの砂漠にムッチー置けば、ロンメル的な働きをしたと思う 日本人はアジア人を虐殺した鬼じゃないといけない、という思想のひとたちが、日本兵、日本人に被害がでた事実を歴史から消そうとするんだよなぁ 明確な一次資料もほとんど無い、大昔の戦いの検証ほど意味がない物はないな
ぶっちゃけ批評する人の立ち位置(右か左か)で好き放題言うだけだし アジア解放と言うだけ大義でもマンシュタインならもっと賢い戦略を立てる
そこが牟田口とマンシュタインの差
軍隊は指揮官の能力で決まる
国も同じ国難に対しては絶対的な知性により国の命運が決まる
東絛では日本は滅びた
マンネルヘイムはフィンランドを救った
これは知性と能力の差
どうにもならない厳しい現実 旧日本軍の失敗を総括すると俺の中では
1、チョンコちゃんランド人をホロコーストしなかったこと。逆に人口増やすのに協力したとか馬鹿げてる。
2、チョンコちゃんランド人アパルトヘイト政策すら検討されていないこと。
3、チョンコちゃんランド人の大移動計画
仮に三・一運動が起こった1919から1937年の間にこの構想があったら
満州事変及び盧溝橋事件は回避できた可能性は高い。
そういう意味でも中央官庁は内密にでも
チョンコちゃんランド人隔離政策構想をいろいろ検討しておくべし。 ここ最近のインパールageはなんなん。
おまいらの史観を読ませて頂けるのは面白いけどさ。 >>37
そんな虐殺鬼から謝罪や賠償してもらおうとか無理なんじゃないですかね >>41
それな
一度や二度ならともかく、こう立て続けでくるとなんか気持ち悪い >>18
まあ敵将が無能だったお陰で身内の犠牲が減ったわけだし 牟田口はカリスマがあったかもしれない
山岡荘八は佐藤幸徳中将と知人で最初は反牟田口だったが、
牟田口と会って話をすると牟田口を擁護するようになった
実際、陸軍は作戦失敗の責任を牟田口一人に押し付けてい気もする >>39
そもそもアジア解放なんて日本は政府も軍部も目標にしてないし大義に掲げたことは一度もない。
インドネシアやマレーシアなどでインフラ接収したり植民地化を強めていたわけだし、政府閣議も植民地拡大で一致してる。
アジア解放ってのは、スターリンの政策だぞ。もちろん、赤化ってことだが。 実現すれば、中国への補給線が断絶し、イギリスがアジアへのアクセスを喪失しかつ大きな同盟国を得られるというまさに「夢物語」だったね 現代でも東南アジアが日本に向けて死の行軍やってるじゃないか 最悪だが独立の引き金だったって褒めたいのかけなしたいのかどっちなんだよ 自分の葬式に自分は悪くないと言い訳のビラを親族に配付させた牟田口にカリスマ性ね
随分情けなくセコいカリスマだな 最近、勲章持ちがやらかしたからw
やっぱ悪評のが真実だろうなw >>48
サイコパスって直接話すとやたらと魅力的に見えたり、洗脳的な話術を持ってる奴が多いからな。竹中みたいに >>34
ビルマ(いまはミャンマー)に人は日本人戦没者を丁寧に埋葬して
慰霊碑を建ててお世話してくれているんだぜ。
ミャンマーほどの親日国は珍しい。
むちゃくちゃに略奪したら、こんな親日になるわけねえじゃん。
むしろアングロサクソン(主にイギリス)の悪逆非道な支配から解放してくれたと
感謝されている。 >>48
牟田口も辻も前線を駆けずり回ってた頃は部下からも慕われていたらしいからな
当初はインパール作戦に反対だった牟田口だが「牟田口くんならやってくれる」「牟田口に任せよう」って上官や周りの声に圧された部分もあったという
インパールの牟田口がアレなのは事実だがもっと大きい根っこがある こんなとこに行かされた一般の兵隊は可哀想やな。
徴兵されて行くんやから。 >>49
開戦7日後に大東亜戦争の意義をラジオの全国放送で演説した大川周明は、
アジア主義・反英米・親ソ親共だったんだよなぁ
インドの独立運動に接近したのは、古本屋で読んだ本に影響を受けてというアレな理由だけどw
でも大川は支那事変に反対した(東條と大喧嘩w)のはもちろん、
対米開戦にも反対してるから、戦前の思想分布はおもしろい 80年前の日本人はなんで他国の独立に興味なんて持ったんだろう? その辺の雑草食って戦えない奴はチョン!って精神で敢行されたインパール作戦 >>41
戦前復古が目的の保守系の人間や団体からすればインパール作戦(と言うか日本軍の失敗や負け戦の話)は都合が悪い
だからこうやって「戦争には負けたけど日本精神は守られた!アジアは独立できた!」みたいに誘導してるんじゃないかと邪推してみる どんな思想があっても
ヒコクミン!で罵倒して終わりになるからな
今だとパヨクとかチョンとかな >>65
右翼の場合は黒船以来の反欧米列強感情で、アジア主義になっていった
まぁ偉い天皇をいただく日本が優越的立場からアジアを指導するという観念も含んでいるけど
左翼の場合、日本の帝国主義を打倒するという左翼のロジックから、
欧米の帝国主義から日本・アジアを守るというロジックにスライドしたり(転向左翼)、
武者小路実篤みたいに海外旅行先で人種差別を目の当たりにして、欧米幻想が崩れたりしたからだね >>49
おいおい大東亜会議と大東亜宣言って知ってるか?
東条英機が主催した日本の晴れ舞台だ。
1、大東亜各国は共同して大東亜の安定を確保し道義に基づく共存共栄を建設す。
(集団安全保障による共存共栄社会の実現)
2、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す。(国家主権の尊重と友好関係の促進)
3、大東亜各国は相互にその伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢し大東亜の文化を高揚す。(伝統の尊重と文化交流の促進)
4、大東亜各国は互恵の下緊密に連携しその経済発展を図り大東亜の繁栄を推進す。(互恵平等による経済相互協力の推進)
5、大東亜各国は万邦との交誼を篤うし人種差別を撤廃しあまねく文化を交流し進んで資源を解放し以て世界の進運に貢献す。
(国際交流の促進と人種差別撤廃、資源解放による世界貢献)
日本は明確に大東亜の国々を自主独立の国々の連合体(大東亜共栄圏)建設を目指していた。 >>71
なるほど
ありがとう
>>72
今読めば正しいね
戦後は欧米が日本のアジア派を徹底的に潰してきたわけだわ ロンメルは北アフリカで常に前線に立ち指揮をしていた
マンネルヘイムは70を越えても最前線に赴いた
牟田口は後方で芸者を上げて遊んでた
これは人間性では能力の問題
指揮官が最前線まで行くのは勇気だけでは無く勝つため
勝つために必要な事だから優秀な指揮官は危険を承知で最前線に赴く
牟田口は能力が無いからどうすれば勝利できるのか知らなかった
帝国陸軍のエリートは信じられ無いくらい、戦争についても軍事についても無知
出世に関係無いから知らない
だから牟田口に指揮能力が無くて当たり前 ベトナム戦争で数万人戦死者が出ただけで
アメリカは泣きが入って脱走反戦運動でボロボロで
余力があろうが講和を余儀なくされた。
それを考えると被害大きくなると講和になるって
読みはそこまで間違いじゃなかったのかもしれない 師団長以上は、みんなエリートだよ
栗林忠道 陸軍大学第35期、成績優等(次席)により恩賜の軍刀を拝受 >>78
ある時期までは確かにそうだった
宇垣軍縮で17個師団となり1937年までその体制であり師団長のポストは超エリートだった
だが日中戦争の激化で続々増強太平洋戦争開戦前には実に51個師団
常時なら予備役行きの連中が員数不足で親補職の閣下となり陛下に拝謁の栄誉に浴する
士官学校の母数はそのままなんだからそりゃあ質も落ちると言うものだろう 無駄口が悪いのなら、師団長も悪いって話だな
第15師団長 山内正文 陸軍大学第36期首席、カンザス米陸軍大学校卒、駐米武官
第31師団長 佐藤幸徳 陸軍大学第33期
第33師団長 柳田元三 陸軍大学第34期優等、恩賜の軍刀。駐ポーランド武官 NHK大河って別に時代物でなくてもいいんだよね。
だったら次は「牟田口廉也」がいいな。 大河ドラマ『牟田口廉也』。
日本男子の中の日本男子、牟田口廉也中将の生涯を描くドラマ。
サムライの真の姿とは何か、大和魂の何たるかを余すところなく描破できること請け合い。
欧米人もアジア人も皆この男の生きざまを見て
「これこそが日本人の真骨頂なんだ!」
「こういう人間こそが日本人そのものなんだ!」
「牟田口こそが日本人の本質なんだ!」
「Mutaguchi=Japanese!HAHAHA!」
と米欧中韓ありとあらゆる市場で大ヒット間違いなし! それが日本が世界に誇る名将・
最も日本人らしい日本人・日本人の中の日本人・典型的な日本人・牟田口廉也。
お前らもちょっと調べてみろ。「こんな素晴らしい男が我ら日本男児の先祖なのか!」
そして「このような男こそが日本男児の正体なのか!大和民族の本質なのか!」と
天まで突き抜けるほどの誇らしい気分になれること請け合いだから。 インパール作戦が成功したらイギリスに重大な脅威を与えていたとイギリスの記述がある
だからインパール作戦は間違いではない
↑福井義高他アホの見解
そもそも成功するわけがないという当たり前のことを無視している 中国を侵略しまくったその口でアジアの解放を宣ってどこに信憑性があるんだか >>77
ベトナム戦争は第二次大戦・朝鮮戦争を体験したせいでそうなった、と言えるんじゃないか
日米戦争は最初からアメリカが日本を潰すつもりで準備してきたし
原爆の実戦テストが終わるまで講和せず生殺し状態が続いてたと思う、白人国家同士で核攻撃なんかできないし 作戦の9割は達成できたと牟田口閣下もお喜びだ
インパールがちょっと遠すぎただけだよ >>88
二十一ヵ条要求の前どこで虐殺があったのかな? 香港もフィリピンもマレーシアもシンガポールも無謀だったけど大成功して
うまくいきすぎたのが失敗の原因だったな >>86
原爆はもともと対ナチス用だし
戦術的に失敗して長期戦不可になったのと
後方平坦代わりの同盟がナチスという失敗だったから
もっとベトナム並に戦術的に泥沼化して反対運動も煽ってりゃそう無理でもない。
実際に黒人扇動なんかロクなバックアップなしに成功して
戦後の黒人運動の原点にもなったぐらいだし、ロシア革命煽った実績もある 中国は、建前としては満州国や汪兆銘政権があるからね
日本に併合したわけじゃない ちなみに通州事件を起こしたのは冀東防共政府の保安隊、要するに日本の飼い犬な 「木村班長、今度の作戦はガ島と同じくらいひどいと聞いたが…」
「なんの何の、ガ島のことを思えば、こんなもんじゃない。ガ島のほうがひどかったよ」
私は木村総長の言葉に、心持ち一安心したのだが、
その後の戦況は、事実ガ島以上の地獄の戦場になろうとは想像もしなかった。
ああ、なんという惨状! 竹林の中の川渕の砂床には、日本兵の死体が二百?あるいは三百もあろうか?
すでに白骨化したもの、あるいは腐乱したもの、
まだ生きている傷病兵の全身に、頭髪を白髪と違えるほど蛆がいっぱい沸いているものあり、
またある者は、大きなウジ虫が、目といわず鼻孔、口、耳穴、傷口から、出たり入ったりしているではないか。
ガダルカナルも悲惨だったが、それ以上に悲惨極まりなき、地獄絵図だった。 広く広がる砂床一面は、腐乱した日本兵の死体だらけだった。なんというむごさだ。せっかく苦労して、
あの激流のチンドウィン側を渡河しながら、撤退援助が何一つなされていないために、
ここでも前岸地区のシッタンと同じような、いや、前岸地区よりもっとひどい地獄の惨状が繰り広げられていたのだ。
インパール作戦の生存者でも、シッタン渡河点をいち早く通過したものや、他の渡河点を通過した人たちには、
このシッタンの悲劇はわからないであろう。
ガ島の場合は、撤退間際にオーステン山を死守したわが124連隊の一部の死体放棄と、
敵戦突破に失敗して玉砕した稲垣大隊の死体と、戦闘間を除いては、各部隊とも、
西海岸においてはほとんどの死者を埋葬したので、インパール作戦ほど、集団的な死体放棄の惨状はなかった。
私自身、数多くの作戦を体験し、戦争とはいかなることくらい、多少は心得ているが、
このインパール作戦は、大局を知らない一兵でも、無茶苦茶な作戦であると、判断できたのは、私だけではあるまい。
日本の軍隊は、人間的に、どこか狂ったところがある。それを知っているのは兵隊だけである。
日本の軍部の最高幹部たちは、戦争は将校だけで勝てると思って、兵隊なぞは人間のうちに入れていないのかもしれない。 インパールから命がけで、イエウの駅まで後退してきたのに、
たった一つの頼りであるはずの方面軍は、何一つとして、私たちを迎える用意をしていなかった。
これはもはや、帝国日本の運命を物語るのか。
兵隊たちの姿には、帝国軍人の誇りなぞ、まるっきり見受けられなかった。
かつてガ島を撤退して、ブーゲンビル島の部員に上陸した時は、在島の陸海将兵全員が出勤して、
撤退兵の一人一人に、用意した杖を持たせ、ヤシ林の道の沿道の両側には小屋掛けして、
砂糖水をサービスしてくれたものだ。「ご苦労様、ご苦労様」といって、私たちに肩を貸してくれたものだ。
あの時の軍司令官は百武閣下であった。
インパールの軍司令官が牟田口閣下。
ともに南支時代の我々18師団の師団長であったのは奇しき因縁だが、
後者の牟田口将軍はあくまで出来が悪かった。
自分自身の部下たちを、たくさん、生殺しにした牟田口将軍は、おそらくはこのシッタンの悲劇を知らなかったのだろう。
戦後、高木俊明氏の「抗命」という本を読んで、私はそう思った。 戦前を否定する戦後教育に反発するからといって日本軍のことはなんでも肯定するのはアホだろ
辻や牟田口はどう考えても擁護できない >>83
イギリス側の「もし成功していたら」を曲解して弁解を始めたのは牟田口本人なんだよね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています