【奈良】邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で刀剣の柄・鞘が出土 「纒向に武器を持つ力がある拠点があったことを示している」
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纒向遺跡で見つかり、展示されている鹿角製の刀剣の柄=奈良県桜井市芝の市立埋蔵文化財センターで、藤原弘撮影
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水に浸けられている木製のさや=奈良県桜井市芝の市立埋蔵文化財センターで、藤原弘撮影
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邪馬台国の最有力候補地とされる桜井市の纒向(まきむく)遺跡の発掘調査で、3世紀前半〜4世紀前半とみられる遺構から刀剣に関連する木製品などが見つかった。刀剣の持ち手の柄(つか)1点や鞘(さや)2点で、専門家は「近くに武器の工房があった可能性がある」と指摘する。【藤原弘】
市文化財協会が昨年10月〜今年1月、同市太田の幅4メートル、長さ70メートルの区域を調査。幅約3メートル、深さ約1メートルの溝から見つかった。柄は、鹿角製で、縦12・5センチ、横5・5センチ。鞘はいずれも木製で、縦34センチ、横3・5センチの物と縦16・5センチ、横4・5センチ。他に刀剣関連の木製品とみられる破片が見つかった。
古墳時代の武器に詳しい豊島直博・奈良大教授(考古学)によると、鹿角製の柄は弥生時代の静岡より東に多く見られるといい、「纒向に武器を持つ力がある拠点があったことを示している」と話す。
県内の武器工房としては、古代豪族の葛城氏や物部氏に関係するとみられる5世紀の遺跡があるが、古墳時代前期までさかのぼるものは知られていない。豊島教授は「将来の発掘調査で、纒向から武器工房が出てくる可能性がある」と期待する。
鹿角製の柄は、同市芝の市立埋蔵文化財センターで9月29日まで展示されている。この調査区は、太田微高地と呼ばれる地域にあり、一帯では、祭祀に関係するとみられる遺物が廃棄された土坑や、建物の柱穴などが見つかっている。今回の調査では、新たに井戸も見つかり、調査した市文化財協会の西村知浩・学芸員は「井戸は祭祀(さいし)に用いられた可能性がある。微高地上の土地利用法が分かってきた」とも話す。
毎日新聞 2019年5月30日
https://mainichi.jp/articles/20190530/ddl/k29/040/482000c?inb=ra , -―-、、
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l < `∀´>
ヽ、 フづとノ'
`〜人 Y
レ'〈_フ 邪馬台国はやまとの国にありましたって事だよね
そりゃそうだよね 俺の仮説
カササギは外来種として九州の北部に留鳥として居る
カササギは地域周辺にとどまり繁殖する習性がある
魏志倭人伝には「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲 無し。」とある
なぜ、「鳥」ではなく「鵲」(カササギ)が倭国には居ないとあえて記したのか
魏が後に、倭国へ「鵲」を贈っていたと仮説するならば
生物学的なDNAの解析によって、鵲のルーツを特定できるのではないか
銅鏡などの錆びついた物証だけではなく
鵲が現在まで生き継いだ魏の使者ならば
邪馬台国の生きた物証としてロマンがある 纒向かどうかはわからんが、奈良盆地のどこかにあったのは確実
畿内説の弱点がほとんどなくなった 邪馬台国がどこにあるかは知ってるけど
奈良県ってどこにあるの? >>4
ゴッドハンドよ、各自治体がテコ入れしている今こそ戦うのだ! わいは邪馬台国は京都北部にあったと考えている
その理由はなんとなくやけどな 九州北部に邪馬台。(漢の時代の列島覇権国)
半島南部、対馬、壱岐、博多(奴国)の「倭人」貿易ルートを独占。
出雲: この貿易ルートで新羅人(因幡の白兎)を使って密貿易。
白兎(しっら兎)=新羅(しっら)人。ワニ=わにん(倭人)
奈良: 高千穂(九州東岸)の勢力とつるんで、九州をぐるっと回って
済州島経由?で百済との貿易ルートを確立。 纒向遺跡って5世紀以降に伝来したベニ花の花粉や馬具出土が出土してるからなw
普通に考えて5世紀以降の古墳だな。 邪馬台国を滅ぼした勢力が纒向というのは本当のようだな
我々邪馬台国人の子孫としては複雑な気持ちである 九州説にとどめか・・・。
悪かったな、最後の希望を奪ってしまって 徳島→(南海トラフ地震及び津波)→奈良
九州はフェイクというか類似の文化があった
決まりだな 垂仁天皇の時には初瀬街道があったと思うんだよね
垂仁天皇の皇女の倭姫がとよ(豊鍬入姫)の跡を継いで
伊勢で天照を信仰する
そして伊勢にやってきた甥ヤマトタケルに草薙剣をわたす 武器に卑弥呼とか書いてあったら価値あるが
もうちょいマシなの発表しないと議論にも奈良無い 纒向遺跡は5世紀以降の古墳であることが確実
意味の無い記事だな。 >>27
いいんだよ。
邪馬台の神々が東へ行って奈良の天皇の祖先になったんだ!
(嘘だけど)この神話を共有することで、日本は一つになった。
同じ神話を信じること、国中の人々が血と涙を乗り越えた瞬間だよ。
(´;ω;`)ブワッ 邪馬台国だろ?
昔は日本の地図は逆さまだったんだから岩手県にアルに決まってる ┏( .-. ┏ ) ┓
【ディズニー】
*ドナルドダック/ドラルド・トランプ🃏(前髪)
*プーさん/習近平(優しい性格)
*雪の女王(アナと雪❄の女王)/西村博之
*アナ(アナと雪の女王)/私(穴川十字路住み、Siri、アレ臭っ、Cortana)
*トランプ国(不思議の国のアリス)/ドラルド・トランプ
*アリス(不思議の国のアリス)→/私(蟻SU、A栗鼠🐿)
*ベル(美女と野獣)/私
*ヴァネロペ(シュガー・ラッシュ)/私
*萩原 雪歩☃(アイマス、萩の月、北海道)/西村博之
*堀 裕子(アイマス)/私
他、多数
zm >>32
>纒向遺跡は5世紀以降の古墳
物凄い誤認だな。 卑弥呼=日の巫女=天照大御神=倭迹迹日百襲姫命だろうね
天岩戸の神隠れの神話が卑弥呼から台与への世代交代を神話的に表してる 5世紀以降の遺跡である纏向から木製武器しか出てこないってのは、むしろ弱者の遺跡だったんじゃないの
瀬戸内・北陸・山陰の勢力と、東海・関東の勢力とのせめぎ合いで出来た、
あるいは東海・関東連合の前線基地的な意味合いが強いとこだったのかなって印象を受ける 何で奈良じゃないといけないのか
何で九州じゃ駄目なのか
倭人伝から何で奈良が出てくるのか >>38
「纏向遺跡は古墳」だとお前は言った。
だから物凄い誤認だと指摘したんだよw 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳。
法律エッセイとして異例のベストセールスを続けた名著を
手軽に読みやすく。短編×100話なので気軽に読めます。
法窓夜話私家版 http://pesc.pw/HFPRH
(続)法窓夜話私家版 http://pesc.pw/H7DJW
lrx 短いからナイフやな 武器じゃないんじゃないか 調理器具 何かが出たからって、それを邪馬台国と繋げるのは無理があると思うんだけどねえ 武器が発掘された=邪馬台国があった、てか
どんな関係があるんだよ? >>1の記事では専門家は誰も纏向が邪馬台国とは言ってない件。 >>40
木製が鞘なのはともかく、前線基地の武装が貧弱な訳無いだろ
本末転倒 >宮室、楼観、城柵が厳設され、常に人有りて兵を持ち守衛す。
鞘に刀を入れて腰にさして警備してたんじゃね だからそれは出雲の植民地の遺跡だってw
魏志倭人伝にある邪馬台国のものじゃない 関東でも出土する剣なら邪馬台は関東の可能性も出てしまうだろたわけが。
関東からきた通行人が捨てただけだろ
鎧みたいに >>53
どっちが本物の出雲かは分からないが
鹿の生贄は近年まで諏訪大社で使ってたからな 今回の出土品の年代はわかってないのかな
場所は太田微高地とあるから大型建物跡と箸墓の間あたりか ショボい、ショボすぎwwww
女王の国を名乗るなら 金印か金鏡か金劔が
見つかってから初めて候補地だから
こんなガラクタで邪馬台国とかギャグ まあ長剣は日本海側から入り込む武器だから
纏向ももれなく九州伊都国から山陰海路を使い丹波辺りから内陸まで監視団が派遣されていた証左だな 鹿角柄は、ナイフで結構使われてる
衝撃の加わる長剣に適してるのかどうか >>51
>>48みたいに記事の内容をよく見ないで思い込みで言い出すのがいるから。 鞘はいいから刀身は?
鉄製が出てこないと話にならんよ 纒向遺跡の最盛期は3世紀終わり頃から4世紀初め
垂仁天皇が纒向珠城に宮を遷して景行天皇も纒向日代、晩年に滋賀の志賀高穴穂宮
そう考えると百襲姫と卑弥呼の年代はぴったり合うんだよなぁ 纒向遺跡の年代はわからんが、
大和は4世紀から7世紀の白村江で負けるまで半島に進出してたことを忘れるなよ 大和王権 武器工房か…奈良・纒向遺跡 柄や鞘 作りかけ10点出土
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20190522-OYT1T50189/
これのキャッシュを見た感じ見つかった場所は
この画像のちょうど運河って矢印のあるとこ辺りぽい
https://www.begin.or.jp/~maki-ac/kyoudo/makimukuiseki009.jpg
>幅約3メートル、深さ約1メートルの溝から見つかった。
纏向遺跡にある他の運河とサイズが一致しており
運河が箸墓古墳の前方部のすぐ横まで続いているという仮説の
補強になってる 要するに絵のとおり
都市計画により卑弥呼の墓の位置や大きさを
かなり早期から決めてたと思われる 祟神が この時代にすでに伊勢本街道の原型みたいなものがあった場合
旅人は卑弥呼の宮殿の門の前をとおりでかい建物を見て
箸墓古墳の後円部の直ぐ横を通って伊勢に向かって
海を渡り東海方面を目指す
纏向遺跡は交通の要所でそこにこれ見よがしにでかい建物を
作った可能性がある 箸墓古墳は卑弥呼の墓として作られたけど
王族の権威の象徴としても利用された
10代 崇神天皇 磯城瑞籬宮 奈良県桜井市三輪山のふもと
11代 垂仁天皇 纒向珠城宮 奈良県桜井市纒向
12代 景行天皇 纒向日代宮 奈良県桜井市纒向
箸墓古墳に周濠を追加したり円筒埴輪を置いたり飾って
後の大王が自らの権威を高めるのに利用した可能性が大いにある
つまり完成時期の見立てがむずかしく
最後の手入れが4世紀までずれ込んだとしても何もおかしくはない >>38
唐古鍵は弥生前期〜江戸時代まで続いた遺跡 纒向から出土する鉄器で、卑弥呼の時代と重なるのはホケノの副葬品くらいだけど
今回の発見は傍証にはなるな 滋賀・稲部遺跡
大規模な鉄器工房遺構 「邪馬台国」時代
「魏志倭人伝」で、大陸と交易があったとされる「三十国」のうちの一つともみられるという。
//mainichi.jp/articles/20161018/k00/00m/040/001000c
卑弥呼は琵琶湖畔の弥生集落で女王に推挙されたとNHKの歴史秘話ヒストリアで言ってた。 近畿が本気で穿り返したら
いくらでも出てくるで
地方なんて相手にならん 滋賀の鉄器工房遺構もそうだけど、倭国を九州限定とみなす九州説の
言い分が通る余地なんか、とっくになくなってるんだよな 鹿の角で作られたという牧歌的な刀が出てきたと発表されても
だから何って感じだが、実はそこそこの発表なのかね? >>76
未だに5ちゃんだけ
遅れてる
鉄がない!とか笑っちゃう 破損して使えなくなった鋳造鉄斧を打割し,擦り切りや研磨などの石器製作に一般的
な技術を駆使して,のみ,ヤリガンナ,切り出しナイフ等の板状の小鉄器が作られていたことを証
明した[野島1992]。このような工房は前2世紀の佐賀県吉野ヶ里遺跡をもっとも古い例として,
中国地方にいたる地域で52遺跡確認されている。
九州の鉄器といっても鋳造鉄器は硬いけど大きな衝撃をうけると脆く砕けてしまうので
実用的な武器としては使えない。 >>81
仮綬となっているので、実際にもらったかどうかは不明だが
もらったとしたら、魏を引き継いだ王朝である西晋に臺与さんが朝貢しているので、返却しているはず >>76
滋賀は九州の植民地でしたが何か?w
そりゃ製鉄技術を持っていた九州勢が進出してれば製鉄跡もあるわなw
https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、新旭町安井川の「安曇」や
> 太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、今津町南浜の「天川」などである。
> そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して安曇川流域付近に
> 住みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。
>
> しかし、この軌跡は安曇川の中流域から上流域まで延長できるようである。 朽木地域では荒川に「雨乞いの淵」が、支流の北川には、野尻の上野に「天ノ阪」が、
> 下市に「あまんさか」が川に面してある。 また、京都市左京区百井の集落東方には天ヶ森(標高812m)があり、百井峠の南南東には天ヶ岳(標高788m)が
> 安曇川の源流を見下ろすようにそびえている。 ●「日本人とユダヤ人の先祖は同じである」という説を日ユ同祖論という。これを最初に言い出したのは、日本人でもユダヤ人でもなく、スコットランド人のノーマン・マクラウドという人物が言い出した説である。
このノーマン・マクラウドなる人物のことはよくわからない。一説にはイギリスでは売買を商っており、日本や韓国では宣教師として活動ながら「イスラエルの失われた十支族」を探していたという。
マクラウドが日ユ同祖論を展開したのは、イギリスに元々あった「イギリス・ユダヤ人同祖論」を日本とユダヤに当てはめたものであるらしい。
内容は、日本の天皇、宮家、公家の儀式とユダヤ教の儀式が似ているからというものであった。
ちなみにアメリカの黒人は 「イスラエルの失われた十支族」 である説。
ネイティブアメリカンは「イスラエルの失われた十支族」である説。
韓国人は「イスラエルの失われた十支族」などなど世界中にあるらしく、特にめずらしいものではないようだ。
日本の場合、ノーマン・マクラウドの講演を聞いた日本のキリスト教指導者数人が、明治から昭和初期にマクラウドの説をさらに解釈を加えて日ユ同祖論を作っていったらしい。
なぜか?
明治〜戦前の日本はまだまだ二等国だと思っており、なんとか一等国に欧米のキリスト教国に思ってほしかったのである。そして日本は偉大な国であり、神の国であると日ユ同祖論者は口をそろえる。
例えば、「日本は神の国である。ゆえに蒙古襲来の神風から日清日露戦争にいたるまで負け知らずであったのは、我々日本人がユダヤ人と同じく神に選ばれた民だからだ」
とか、「旧約聖書に数か所「日の出る所から、その沈む所まで」という聖句があるが、この中の「日の出る所」とは地球の中央であるエルサレムから一番東にある「日いずる国」である日本のことだ」
とか、『日本は神に選ばれた国であり、日本民族は神に選ばれた民族である』といういわゆる神国ニッポンの皇国イデオロギーと同じなのである。 ●ユダヤ人は日本人のことをどう見ているのか?
ユダア人研究でも有名な神戸女子学院大学の内田樹教授によると『エンサイクロペディア・ジュダイカ』という、全26巻におよぶ英語で書かれた百科事典がある。
『エンサイクロペディア・ジュダイカ』は文字通り『ユダヤ人の百科事典』という意味で、その厖大な百科事典に、日本についてのことがどれくらい記されているかというと、0.009%、ページ数にしてわずかに2ページ程度であるという。
日ユ同祖論に熱心な日本人には申し訳ないが、イスラエルを含む英語圏のユダヤ人は、日本や日本人にほとんど、あるいは実質この程度しか関心がない。
Wikipedia によると、一時滞在も含めて日本に住んでいるイスラエル国籍者は802名(2005年末)であるそうな。
ユダヤ系アメリカ人など他国のユダヤ人を含めると2000人ほどいるらしいが、極めて少ないといっていいだろう。
よって日本にユダヤ教のシナゴーグ(集会所)もほんの数か所しかなく、そして開国してからあまりユダヤ人は日本に住みつかず、
もっといえば第二次世界大戦前に日本に横浜や神戸、長崎にあったユダヤ人コミュニティーも、戦後になるとみんなアメリカに移住しちゃってなくなってしまうありさま。
どうやらほとんどのユダヤ人にとって、日本については関心もなく、また世界のあらゆるところに移り住んだユダヤ人だけど日本はあまり魅力的ではないのかも知れない。 ◎日ユ同祖論の年代矛盾。
ダビデの星がユダヤの象徴になったのは十七世紀から( イエズス会製 )。
伊勢神宮のダビデの星がある石灯籠の設置は戦後。
ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。
クリスチャン・カバラ(生命の木中心)は15世紀にピコが創始。
◎日ユ同祖論の方位矛盾。
メルカトル図法は方位が不正確。
方位が正確な正距方位図法ではイスラエルの東北の果てが日本であり、東の果てならニューギニア島あたり。
聖書が根拠の失われた十支族に考古学的証拠なし。
イスラエル中心の正距方位図↓
http://ronbarak.tumblr.com/post/39738833512/online-map-creation-using-azimuthal-equidistant
◎日ユ同祖論は縦書きの漢字とヘブライ語(横書き)の子音表記を無視。
公にしない支配者層の文章ですら漢字と漢字の変形(仮名)。
漢字否定の為に神代文字を捏造。
ヘブライ語は子音表記で母音記号(ニクダー)がないと正しい読みは不明。
都合よく読めばどんな言語とでも同祖論を作れる。
◎日ユ同祖論は仏教と道教を無視。
本地垂迹説(神の正体は仏)で神の実体を否定する仏教が国教(寺が神社を管理)。
天皇も側近も仏教徒。
日本語に仏教用語は多いが神道用語は少数。祇園は仏教用語。
昔の神道=和風道教。神道・神器・天皇は道教用語。
天皇は道教最高神・天皇大帝(北極星)の略。
◎日ユ同祖論はユダヤ教の最重要教義を無視。
神道は多神教で安息日がなく(十戒=最重要事項違反)、
バルミツバ(13歳でする成人式)もない。
祇園は仏教用語。シオン祭というユダヤ教の祭りは存在しない。 RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ユダヤ教徒の妻ですがシオン祭などというのは見た事も聞いた事もないですね。日本独自の都市伝説です。そもそも7月1日がロシュハシュナでシオン祭の初日という記事もありましたが今年のロシュハシュナは9月24日から26日です。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ネタとしては青森のキリストの墓と同じで面白いなあとは思うのですが(笑)、世界のどこにいても伝統行事を大切にしているユダヤ教徒に話したら「なんじゃそりゃ」と笑ってました。ユダヤ教の行事カレンダーも7月は空白です。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
何度も言いますがシオン祭と言うもの自体が存在しないのです。ユダヤ人は古代の行事伝統をすべて大事に今でも行っている民族ですがそのユダヤ人たちの間でこのような祭りが存在しないのです
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
シオン祭で検索してみてください。祇園祭に関連する記事以外何も出てきません。本当に存在する、あるいは存在したものなら、たとえユダヤ教やユダヤ人の文化の記事として必ず英語か日本語でみつかります。それが何もないのです。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
ユダヤ人たちは、世界のどこにいても、その多くが子供の時からヘブライ語を学び、自分たちの民族の歴史や伝統をしっかりと教え込まれます。そのための学校も必ずあります。その彼らが「シオン祭?何それ?そんなもんないよ」と言っているのです。
RiekoPiano@RiekoPiano • 9月5日
それで、伝統をこの上なく大事にして何千年も多くの行事を続けているユダヤ人たちが知らないシオンの祭典って何ですか?
ユダヤ人の祭り
http://www5f.biglobe.ne.jp/~jesus/NT-intro_festivals.htm
ユダヤ教 ━ ユダヤのお祭り
http://myrtos.co.jp/info/judaism03.php 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>93
いずれにせよ九州からの出土品と比べると2〜4世紀遅れてるよね
九州だと弥生中期中葉も遺跡や古墳から見つかるものだもんな
邪馬台国が近畿って可能性は消えたな >>94
どんな理屈だよw
邪馬台国は倭国大乱の後、歴史の表舞台に躍り出た国
紀元前のことなどどうでもいい
そして九州は倭国大乱の後は没落して、ろくな遺跡もないし、出土品も激減する
そんな地域に魏と外交を行なっていた大国があるはずない >>95
それじゃ奴国王の印は何で九州から出たの? 刀剣の柄や鞘が出たから何だと言うんだろうか?そんな事よりも奈良からは戦闘が
あった形跡がまったく見つかってはいない、倭人伝の記述とは全く合致しないのが
邪馬台国奈良説だ >>96
はあ?
漢委奴国王の金印は西暦57年
200年も違うものを持ち出して、何を言いたいんだかw >>>>>>>1
矛は当時のシナに存在していたのだから、当時のシナ人が見間違うわけがない
矛は刀などより攻撃力の高い武器だが、それが北部九州にあるのに、北部九州を支配している筈の
畿内で全く出土しないのは何故なのか。その説明はできるのかね。
女王の居城は、兵を持って守衛している、
(兵は)矛・楯・木弓を持ってる
・兵用矛,楯,木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃
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