昔ながらの茶木から葉を摘み取る和田事務局長=昨年12月、中国・浙江省で(県茶業会議所提供)
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 日本茶発祥の地は、滋賀県なのか−。この問いにけりをつけようと、県茶業会議所は、平安時代の僧で天台宗を開いた最澄が修行した中国の天台山と、持ち帰った茶の実を植えたとされる大津市坂本に生えている茶木の葉をDNA分析して比較し、類似性を確かめようという取り組みを進めている。和田龍夫事務局長(68)は「歴史的な裏付けを手に入れ、味とともにPRしたい」と意気込む。

 昨年十二月初め、和田事務局長とJAこうかの山田嘉一郎組合長、甲賀市内の茶農家三人が、中国・浙江省を訪れた。天台山の主峰・華頂山(一、〇九八メートル)に登るためだ。

 霧が立ち込める中、現在も手で摘まれている茶畑が中腹に広がる光景を見ながら、現地ガイドの案内で登山。頂上付近にある昔ながらの茶木から、葉を五枚摘み取った。中国は検疫が厳しく直接持ち帰ることはできなかったが、何とか手続きは進み、今年二月末になって会議所に届いた。

 日本茶の起源には、諸説ある。まずは、滋賀県が主張する最澄説。八〇四年に唐に渡り、天台山国清寺で修行した最澄が、持ち帰った茶の実を近江国坂本に植えたという。ゆかりの日吉大社に伝わる「日吉社神道秘密記」に、その記述がある。

 最澄が帰国して十年後の八一五年には、嵯峨天皇が近江の梵釈寺でお茶を飲んだという記録も「日本後紀」にあり、和田事務局長は「最澄の木が育ち、その茶を飲んだ可能性もある」と想像を膨らませる。

 そのほか、鎌倉時代の臨済宗の開祖栄西が、佐賀県の東脊振村の山腹に、宋の国から持ち帰った種をまいたのが始まりとする説も。甲賀市と接する京都府宇治田原町は、江戸時代に永谷宗円が煎茶の製法を開発した功績から「日本緑茶発祥の地」をうたうなど、各地がPR合戦を繰り広げている。

 会議所は現在、華頂山の茶葉と、大津市坂本に古くから残る茶木の葉をDNA分析するため、冷凍保存しながら最適な検査機関を探している。もちろん、どちらも最澄の時代の木が残っているわけではなく、交配や世代交代が進んでいるとみられるが、和田事務局長は「人類のルーツもDNAによって明らかになりつつある。ある程度は解明できるのでは」と期待する。

 昨年は茶農家とともに、魚由来などの成分にこだわった新有機配合肥料を開発し、甲賀市内の全茶畑面積の四分の一に当たる七十二ヘクタールで使用している。同市の土山、朝宮両地域を主産地とする県内の茶の生産量は、全国のわずか0・8%程度だが、和田事務局長は「一番茶の収穫が全て終わる六月末ごろには、新肥料で育った茶の成分や販売単価が分析できる。生産量は少なくても、歴史、味の両面で日本一の産地だとアピールしていきたい」と話す。

中日新聞 2019年6月2日
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