【奈良】渡来人技術者ルーツ、古代瓦「歴史の生き証人」 研究者「国内の瓦作りは奈良で始まったのです」
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室町時代の鬼瓦。角は鎌倉時代の1本から室町時代に2本に増えた=奈良市の帝塚山大で、大森顕浩撮影
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ハスの花びらに線が入った新羅の軒丸瓦=奈良市の帝塚山大で、大森顕浩撮影
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豊浦寺跡(明日香村)で出土した軒丸瓦。ハスの花びらに線があり、新羅の影響を受けているのが分かる=奈良市の帝塚山大で、大森顕浩撮影
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緑豊かな丘陵に位置する帝塚山大学東生駒キャンパス(奈良市)の一角にある建物に、考古学研究所と付属博物館が併設されている。東アジア(日本、朝鮮、中国)の瓦約7600点を所蔵し、規模と質は日本有数、朝鮮の瓦は最多という。瓦からは、文献では分からない古代史の実像が浮かび上がる。【大森顕浩】
常設展示室の片隅に、いかつい顔をした鬼瓦が並ぶ。「日本の鬼瓦は角が鎌倉時代は1本、室町時代から2本になるのです」。研究所長と博物館長を兼ねる同大教授の清水昭博さんが解説してくれた。鬼瓦の歴史を、源流の中国の品も含め展示で学べる。
豊富な瓦の所蔵品は1982年と89年、研究所の前身の帝塚山考古学研究所が朝鮮瓦の収集家から計約2700点を購入したのが始まりだ。その後も収集家からの寄贈が続き、現在は朝鮮半島が約3000点、中国は約150点、日本は約4500点に及び、ほぼ全時代を網羅する。古代瓦研究の第一人者として知られた森郁夫さん(1938〜2013年)が研究所長を長年務めた。
付属博物館は04年開館。学生の博物館学芸員の資格取得に必要な博物館実習を学内で担いつつ、一般向けの展示もする。研究所の瓦も移管され、現在は瓦を含め、考古、民俗、美術の各分野で中国鏡や絵馬など計約1万点を所蔵する。
瓦の魅力について、自らも古代瓦を研究する清水さんは「歴史の生き証人という点です」と力説する。
日本書紀によると588年に古代朝鮮・百済から「瓦博士」と呼ばれた技術者4人が来日し、国内最初の寺院・飛鳥寺(明日香村)で瓦が初めて使われたとされる。「国内の瓦作りは奈良で始まったのです」と清水さん。「7世紀末に藤原宮の宮殿で登場するまで、飛鳥時代で瓦のある建物はほぼ寺院だけ。瓦が出土すれば、文献にないものも含め寺院の様子が分かる」と指摘する。
例に挙げるのは聖徳太子が造営したとされる法隆寺(斑鳩町)と四天王寺(大阪市)。両寺とも創建当時の軒先を飾る丸い軒丸瓦には同笵(どうはん)(同じ鋳型)のものがあり、ともに聖徳太子が関わったこととも符合する。実は三郷町の遺跡周辺でも同笵の軒丸瓦が確認されている。清水さんは「瓦が見つかった一帯は聖徳太子と何らかの関連があった」と推測する。
瓦からは技術や文化の伝来もうかがえる。古代朝鮮の3国、百済、新羅、高句麗の軒丸瓦と似た文様が、日本の寺院跡でも確認されている。仏教の象徴、ハスの花を表現する文様で、百済の特徴は花びらの先端にある丸い膨らみや切り込み、反りだ。飛鳥寺や法隆寺、四天王寺の出土品にもある。豊浦寺跡(明日香村)の出土品は花びらに線が入っているのが新羅と同じで、そのルーツは中国・南北朝時代(5〜6世紀)の南朝にあるという。
高句麗はハスのつぼみと、直線やつる草を交互に並べるのが特徴で、西安寺跡(王寺町)に例がある。高句麗の瓦は赤色だが、西安寺跡は灰色。色を出す焼き方は百済と同じなのが興味深い。瓦の伝来は文献上百済なのだが、新羅や高句麗、さらに源流の中国の影響も分かるのだ。
研究所では瓦と古代寺院をテーマに定期的に研究発表会を開催している。博物館と共催で市民向けの古代史講座も開く。近年は韓国の研究機関との協力も進む。海外にある半島由来の文化財を調査する韓国の「国外所在文化財団」と共同で、博物館所蔵の瓦を調査する。韓国瓦学会とは瓦の製作実験などで交流を図る。高句麗は現在の北朝鮮に当たるため、韓国にとって高句麗の瓦は貴重という。
瓦を1点ずつ高精細な写真に撮影してデータベース化する作業も進めている。清水さんは「国内外の幅広い研究者に利用してもらえれば」と話す。
毎日新聞 2019年7月29日
https://mainichi.jp/articles/20190729/ddl/k29/040/292000c?inb=ra >>1
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https://youtu.be/AoQthG78nBI
jQhxSNoXzw0 日本の昔の水車もみんな渡来人が作ったんだよ。日本人の造ったものじゃありません
特に韓国には優れた水車職人が居て、秀吉に焼かれ さらわれた不幸の歴史がある これ以上輸出規制を続けるのなら、古代の強制連行について賠償を求める用意はある 1400年前の瓦が現役で使われて残っているってのは凄いよな。
朝鮮には中国から伝わったはずだが、当時の瓦はガラクタしか残っていない。
残っていれば日本の国宝より価値がある物だっただろうに。 朝鮮半島にいた集団が西本州を征服して大和を本拠地としたのが旧日本国だからな。
ちなみに200年前には日本君主国という国が本州全域を支配していた。
君主は当然徳川を指す。
外交文書は日本君主国と記載されている。 その時代の渡来人は漢人。
和邇博士も百済に居た漢人。 と思うのです
おそらくそう思うのです
きっとたぶん
そーだと思うのです 当時は日本が船を出して朝鮮や中国と交流してたわけだけど
瓦が中国由来なら
中国から百済へ瓦を伝えたのも海を支配してた和人だったろう
海から伝わらないなら高句麗経由でしか届かんもんな ここ最近の考古学はプロパガンダで歪曲捏造思い込みが酷すぎて見るに堪えない 戦後に朝鮮人とアカ学者が広めた「渡来人」みたいな政治用語使うんじゃねえよ
朝鮮戦争を韓国戦争とか朝鮮半島を韓半島とか言わねえよな? 考古学者って、エゲツないフィルターかけるからなら。
左巻き、チョーセン推しフィルターな。
左巻きで就職出来なかったから、こんな嘘つき仕事してるんだろうな。 >>1
ルーツは中国だし、朝鮮半島へ行った中国人が日本に来ただけだろ これがパヨクだと中国原産もすべて朝鮮産になるんだろうな あと朝鮮半島へ行った中国人は両班と言う支配階級になった。
今の大半の朝鮮人は奴隷の白丁 言語がこれだけ違うと別人種
朝鮮半島は通路にすぎず
今通路にすんでるのは流れてきた乞食w 渡来人でなく 帰化人です。
帰化人が、差別語だという理由で、渡来人という新しい造語をつくった。
どうして、明らかな差別語である南蛮人や南蛮文化という言葉は、
そのまま使われているのか? 不思議だ 蘇我 物部 大伴 葛城 藤原 秦 全部渡来 新羅と百済の国盗り合戦
勝利したのは百済の藤原 従って日本を牛耳ったのは朝鮮人 日本のすべての文化は韓国に教わったもの
大きな顔をするのはとても恥ずかしいことなのです 【歴史捏造】「古代朝鮮人からその歴史の強奪することに他ならない」
■朝鮮の歴史は、
百済・新羅・高句麗・任那等の古代朝鮮がその祖ということになっている。(これも捏造)
しかし実際には、
元寇のあった時期に、
朝鮮在住人のDNAが激変したという歴史的事実がある。
(埋葬された死者のDNA鑑定・分析結果)
これは、
半島で古代朝鮮人が絶滅し、
エベンキ族と推定される他民族が成り替わったことを意味する。
つまり、
「古代朝鮮」人と現在のいわゆる朝鮮民族はDNA的にほぼ他人である。
それをあたかも継続しているが如く語るのは、
「古代朝鮮人からその歴史の強奪することに他ならない」。 日本書紀・魏志倭人伝・隋書 東夷伝 ・宋書 夷蛮伝 ・三国史記 新羅本記・三国史記
百済本紀 中国政府外交部英国:オックスフォード大学・米国:コロンビ-ア大学・米国議会図書館…
■↑これだけの歴史書や教科書が、一様に「-新羅や百済は倭(日本)の属国だった」と述べている。 ・勾玉=材料となる翡翠が東アジアで日本の糸魚川でしか産出されない。
・全羅南道からは鹿角製刀装具や珠文鏡が出土していてこれも日本の原石から作られている
・土器=日本最古の土器(1万6500年前)がほぼ『世界最古』の土器。
・水田稲作=「@炭素測定法、A品種遺伝子」が日本が朝鮮に伝えた証拠。
・前方後円墳=日本のほうが古い。韓国の前方後円墳の出土物は日本の土器類に酷似。 ・百済の「武寧王」も、その父の「東城王」も、日本の九州で生まれ朝鮮半島に渡った。
・東城王(末多王)の百済王即位も日本(天皇)によって決められた。
・武寧王の子「純陀太子」は日本に人質として来て、子孫もそのまま日本に住み着いた。
・「百済とは昔から日本(倭国)の一地方」だったため、百済の王は天皇が決めていた。
・ 日本生まれの「東城王(末多王)」や「武寧王」等が朝鮮半島に渡って即位していた。
・インド発祥の仏教は中国を経て日本の一部である百済経由で日本本州伝来した。
・新羅の王の、王冠の飾り(宝石)も日本産の素材。 日本では任那の倭人館の存在を誇大解釈し任那を日本が支配していたなどという荒唐無稽な学説が支持されている
これは明らかに日本人の朝鮮半島への劣等感の表れである
日本のウリナラマンセー史観は世界中の学者から冷笑されている 渡来人→トライ人→挑戦人→朝鮮人
語源をたどれば明らか >>40
家庭教師の渡来とか
受験に朝鮮ってことかなw 霧島に韓国岳があるから、瓊瓊杵尊は韓国人だって
平気で吹かす連中だぜ。どうでもいいだろう。 ネトウヨは渡来人の事もディスるのか
不愉快なのは分からんでもないが農業や建築技術、工芸品を広めてくれた事には感謝すべきだと思うわ 半島から渡来して畿内に住み着いた技術者は殆どが百済系だが百済の一般人は
三韓出身者だから漢人とは無関係で元々は中国東北部(満州)に住んでいた北方の
少数民族だ。ツングース系民族の可能性が高い。 そういえば火の鳥鳳凰編の我王は鬼瓦対決してたなあと思い出した 日本書紀によると日本に仏教を伝えたのは百済王だが仏教は沖縄経由で日本に伝わっていた >>57
沖縄経由かどうかは知らんが、中国南部からは普通にありそう
三国志の時代に中国まで来てるのに、538年に初伝てのはいかにも遅い 【ほとんど朝鮮渡来の弥生か】縄文人DNAは現代人のうちたった10% 初の全ゲノム解読
https://null/test/read.cgi/newsplus/1557756728/
現代の日本人は祖先の縄文人が持っていたDNAの約10%を受け継いでいるとする研究結果を、国立科学博物館のチームが13日発表した。縄文人のゲノム(全遺伝情報)はこれまで部分的に解析できていたが、初めて解読した全ゲノムに基づいて分析した。
日本列島には朝鮮半島から3千年前に弥生人が渡来し、縄文人と混血したとみられている。現代人が受け継いだ「縄文人ゲノム」の割合は、北海道に住むアイヌ民族と沖縄に住む人で高かった。チームは「日本人の複雑な起源を知る手掛かりになりそうだ」としている。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/16453312/
日朝同祖論が事実なんだよなあ てか法隆寺はペルシャ系(多分、ソグド)が建ててるんだけど ちゃんと中国の南朝からの仏教伝来に触れてるのは偉いね
中国側が記事書くと遣唐使より前の交流はないことになるし
韓国だと百済が伝えたの一点張りでどこから百済に伝わったかは知らんぷり >>60
つまり氏より育ちってわけね、日本に産まれてよかった >>37
だから今では実際にはいなかったとされる。 >>60
それはデータが集まるごとに%増えてってるから
2017年は15% 国立遺伝学研究所ホームページ
2017年は20% 篠田がテレビで発言
2019年は?%
縄文人が意外と現代人に近いところまで遺伝子のばらつきがあることが分かって来てんだよ。 >>71
間違えた
2016年が15%
2017年が20% ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています