「マルクデュトルー事件」で検索や
国家ぐるみのペドレイプ組織は糖質の妄想でも何でもない真実やぞ


捜査当初より、事件の背後に、警察関係者や政府高官などを含む富裕層向けの小児性愛ネットワークの存在が疑われていた。
2004年の裁判では、マルク自身が「一連の犯行はその組織への女性調達のため」と主張したが、判決では証拠不十分として却下された。
BBCが証言者のインタビューを含むドキュメンタリー番組を制作したほか、現在も一部で根強く疑惑が囁かれているが、モラル・パニックや陰謀論とする見方もあり、真実はわかっていない。

疑惑の根拠とされた主な理由は以下のとおり[6]。

マルクがレイプ犯で13年の刑を受けながら、3年で釈放されたこと。
マルクの母親や近隣の人から、マルクの不審な行動が通報されていたにもかかわらず、警察は捜査をほとんどせず、捜査資料も改竄されていたこと。
逮捕前に自宅を訪れた警官が少女の話し声を聞いたにもかかわらず、調べなかったこと。
逮捕後、裁判まで8年もかかったこと。
その8年間に、小児性愛組織に関しての証言者候補が次々と亡くなったこと。
共犯者の一人であるミシェル・ニウールが、「政界、財界、司法界、王室の関係者などが
参加した小児性愛パーティーをフォ・レ・トンブ城(Faulx-les-Tombes)で開催したことがあり、自分が証言したら政府が転覆しかねない」とインタビューで発言したこと。
調査官のコネロット判事(Jean-Marc Connerotte)の呼びかけに応じて、小児性愛組織の犠牲者として証人X-1ことレジーナ・ルーフ(Regina Louf)が証言を申し出たが、
妄想癖を疑われ、証言者から外されたこと(マルクとニウールとも顔見知りであり、
組織のパーティではサディスティックな性虐待や殺人まであったと発言していた)。
事件の解決に熱心で、小児性愛組織を調査し始めたコネロット判事が担当から外されたこと。
レジーナの発言を無視した判事がニウールと個人的に親しかったこと。
監禁部屋の毛髪がDNA検査されなかったこと。
殺された少女の親が遺体を見せてもらえなかったこと。
ニウールも元妻も刑期半ばにして釈放されたこと。
フランスでは、同事件を扱った本の中でアルベール2世 (ベルギー王)も小児性愛パーティの常連客であったと書き、
王とベルギー政府が出版社のフラマリオン社を訴えた[7]。